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「遠近両用」の永守経営

 こうした活動を組織風土として根付かせたのが、創業者の永守重信会長(76)だ。日本電産と聞けば、多くのビジネスパースンは永守氏の顔を思い浮かべることだろう。歯に衣着せぬ言動による強烈な個性と有言実行で知られるからだ。

 日本電産は1973年、第1次オイルショックの年に生まれた。永守氏が自宅の納屋でわずか3人の仲間と共に始めた、いわゆる「ガレージ(倉庫)企業」だ。米国の巨大IT企業、グーグルやアップルも「ガレージ企業」からスタートしたと言われている。初心を忘れまいと、今でも京都市内にある本社ビルの入り口には創業期の「プレハブ」が展示されている。

創業時の社屋

 永守氏の経営者としての凄みは、「1円稟議」のような現場の徹底的な把握とともに、50年スパンで会社の将来像を捉えていることにある。創業した時には売上高1兆円を目指す「50年計画」を策定。当時は社内ですらも信じられなかったが、創業から約40年となる2015年3月期に売上高1兆円を実現させた。さらに、昨年8月の75歳の誕生日には「新50年計画」を作り、売上高10兆円に加えて、時価総額で世界のトップ10入りも掲げたという。

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 こうした経営スタイルは理に適っている。シリコンバレーなどでは「変革は異端で起こる」などと言われる。経営環境の変化の兆しは、実は本社からは見えづらい小さな現場・変化に宿っているからだ。その一方で、長期的なトレンドを見ながら大胆な投資と人材育成をしなければ他社との競争の中で優位に立つことはできない。永守氏は「遠近両用」の視点を大事にした経営を得意としているのだ。

自動車産業は変革の時代を迎えている

 自動車産業はいま、その遠近両方の視点で大きな波が訪れている。まず短期的にはコロナ禍により世界市場は9000万台から7000万台規模に落ちるとの予測もあり、売上減少をどう乗り切るかが問われている。

 長期的には自動運転や電動化対応などといった「CASE」領域へ対応しなければならず、その投資負担が重荷になっている。特にEV時代は、クルマの構造がパソコンのようにコモディティー化し、産業構造を大きく変えてしまうだろう。それに伴い付加価値は部品とサービスにシフトしていく。そうなった際には自動車産業界にも、パソコンにおけるインテルやマイクロソフトのように、完成車ではなく個別の部品で覇権を握る企業が出てくる可能性がある。

テスラのEV

 ビジネスモデルにも変化の兆しが表れている。たとえば、テスラのクルマは、ソフトウエアが無線技術で更新され、ハードは古くなってもソフトは新しくダウンロードされて新しい機能が使える。まるでスマートフォンと同じだ。テスラはそこに課金してもらうビジネスモデルを狙っている。これをFOTA (Firmware update Over The Air)と呼ぶ。このクルマの「走るスマホ化」も進んでくるだろう。

 また、産業のすそ野が広い自動車産業は、自動車メーカーに直接納入する会社を1次下請け(ティア1)、1次下請に納める会社を2次下請け(ティア2)と呼び、ティア3、ティア4……という風に多層的に連なっている。

 しかし、これまで述べてきたような変化は、部品産業の合従連衡を加速させ、いずれ自動車メーカーよりも力を持つ企業が誕生する。それを業界では「ティア0.5」と呼ぶこともある。