文春オンライン

「舵を切るとそこに小沢一郎がいた」立憲入りした“無敗の男”中村喜四郎と恩讐の28年間

 9月15日に旧立憲民主、旧国民民主両党の議員150人が合流し、新たに結党された立憲民主党。このとき永田町で話題になったのが、中村喜四郎(71)と小沢一郎氏(78)、2人のベテラン議員の28年ぶりの“邂逅”だった。

 10月10日発売の月刊「文藝春秋」11月号では、中村氏が小沢氏への思いを詳細に語っている。

中村喜四郎氏 ©共同通信社

 自民党竹下派に所属していた2人の間に亀裂が生じたきっかけは、1992年、金丸信氏に佐川急便問題が浮上したことだった。

ADVERTISEMENT

28年前の“小沢おろし”を巡る因縁

「当時小沢さんは経世会の会長代行でしたが、会長の金丸さんを守ろうとせず、ことを荒立てることばかりしていた。そこで私が派内の中堅議員を集めて、小沢さんの考えを聞こうと呼びかけたのです。20人くらいの前で、私が小沢さんに『どうなっているんだ』と激しい口調で責めたものだから、皆、凍り付いた」

 90年の衆院選では小沢氏は幹事長、中村氏は総務局長として選挙を取り仕切るなど、中村氏は小沢氏の最側近と目されていた。しかし中村氏は追及の手を緩めなかった。

小沢一郎氏 ©文藝春秋

「8日後に開かれた竹下派の総会でも、私が『小沢さんも金丸会長と共に辞任すべきだ』とつるし上げると、野中広務さんなども『小沢おろし』に加勢し、数の力でこちらが優勢となった。結局、小沢さんは『改革派』という錦の御旗を掲げ、翌年の6月に自民党から出て行きました。その後、小沢さんは非自民の細川内閣を発足させ、民主党で政権交代を成し遂げます。一方、私は事件や裁判のため、政治の表舞台から一度消えることとなりました」

 それから28年。再び2人は因縁を超えて、共に自民党と立ち向かうこととなった。