10月28日。いつものようにツイッターを見ていると、突如「内川聖一、ソフトバンク退団」というニュースが目に飛び込んだ。えっ。本当に? たしかに今シーズンは一軍に上がってないし、年齢的にもそういうタイミングなのかもしれない。だが、内川である。日本球界が誇る右バッターである。現役続行を模索して退団の意向を申し入れたというその記事を読んだ私は、そのニュースに対し、すぐさま「カープでしょ、カープ!」と書いた引用リツイートをした。そう。私は内川に来てほしいのだ。カープに獲ってほしいのだ。内川とカープとの浅からぬ縁。個人的に言えば「第三の縁」。それをいまこそ実らせる時なのだ!
もしカープも同じような提案をしていたら…
ご存知ない方のために、第三の縁の最初、つまり第一の縁について書かせていただく。いまから20年前の2000年、カープはドラフト1位の最有力候補に内川の名前を挙げていた。当時のスカウトは故・村上孝雄さん。村上さんは北別府学、津田恒美、緒方孝市、前田智徳など、名だたる名選手を発掘した伝説の名スカウトで、2001年の2月、私はその村上さんが内川を追いかける模様を特集したNHKの特番を見た。番組内では内川を含む数名の「ダイヤの原石」と、獲得に奔走する村上さんを追跡していたのだが、その村上さんが「AA」という唯一にして最大級の評価をし、前田智徳クラスの選手と太鼓判を押していたのが他ならぬ内川であった。大の前田ファンである私はそこから内川に釘付けになった。
番組内では内川の実家に何度も訪れ、熱心に入団交渉をする村上さんの姿があった。超高校級、間違いなくプロで成功する。これだけの逸材はそうそう出てこない。村上さんはその熱い想いを本人、ご両親に何度も伝えていたのだが、内川は左かかとの負傷(骨嚢腫)、及び手術をしたことで3年間を通して野球ができておらず、プロに行く自信をまったく持っていなかった。熱心な誘いにも内川は難色を示し続け、粘りも虚しく、結局は「獲得の見込みなし」という判断をしてカープは内川の指名を回避することになる。
しかし。内川はドラフトでベイスターズから1位指名されてプロ野球選手になった。なぜ? カープが交渉していた時にあれだけ難色を示していたのになぜ? そこにはベイスターズの名案があった。プロでやっていく自信が無い内川に対し、ベイスターズはプロ入り後3年越しのトレーニング計画を提案。分かりやすく言うと「すぐに活躍しろとは言ってない。足の具合を見ながら時間をかけてプロで通用する身体を作っていこう」というプランを提案したのだ。ひたすら熱意を捧げ続けたカープに対しベイスターズは熱意と「安心」を与え、その心を動かした。ヤラれた。もし、もしカープも同じような提案をしていたら……。本当に悔しかった。
その後の内川の活躍は皆さんもご存知のとおり。ベイスターズどころかセ・リーグ、いや球界を代表する右バッターに成長した。まさに「逃した魚は大きい」である。伝説のスカウト村上さんが目をつけ前田級の評価をした人物ということで、私は内川が気になって気になって仕方なかった。そして村上さんの目が間違っていなかった証、つまり彼の「活躍」を、なんとも言えない感覚で見続けた。