「わんこそば」に、「盛岡冷麺」、「じゃじゃ麺」と日本屈指の麺どころである盛岡には、地元の人間であれば知らぬ者はまずいない「キムチ納豆ラーメン」なるソウルフードがある。

 それを出す店の名は柳家。盛岡のメインストリート“駅前大通り”のさわや書店3階で昭和50年に開業以来、45年間「人と同じことやってもダメだ」という信念の下、岩手仙台ベトナムと支店を広げつつ、独特な異彩を放ちながら東北のラーメン界を牽引してきた。

 その柳家“本店”が、本日11月3日で新型コロナウィルスの影響もあって閉店を迎えることになった。

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 10月17日から「卒業式」と銘打ち、春から厨房に立つことを止めていた名物会長、大信田和一氏(79歳)の強烈な個性が再び厨房に戻ると、「いらっしゃいませぇ!」という素っ頓狂な声が復活。気合い満点に鍋を振り「あーらよっ!」なんて完成の掛け声が響く中、全国から続々と詰めかけ行列を作るこの店のファンたちが、閉店を惜しみながら卒業のラーメンを味わっている。

45年続いた「柳家本店」は11月3日に閉店を迎える(筆者撮影)

「いやー、毎日毎日、東京大阪四国ハワイ九州とわざわざ遠くから来てもらってな。幸せもんだな。それでも忙しいと鍋の中だけ見てて挨拶もろくにできねぇ。『親父は堅物人間なんでないか』なんて言われても、一人喋ると、あとがみんなヤキモチ焼くからよ」

 なんて、話したくても話せないてんてこまいの大信田会長。そして卒業式に出席できない、もしくは出席しても「親父さんと話ができなかった」と嘆くあなたのために、本日で柳家本店を閉める大信田会長からの「柳家本店・卒業の言葉」をお届けする。

「いっつも同じ味、同じサービス。それがプロの商売人の基本」

「毎日全国から来てくれたお客さんが並んでらじゃ。79歳にしてさ、このコロナ禍で、大変だ、潰れるって時にさ、まず忙しい思いさせていただいて。いい人生送らせてもらってるよ。

閉店記念に会長の心を記した『書』のポストカードを配布している(筆者撮影)

 この商売をはじめて60余年。やっぱり人があっての人生じゃ。やんたな(嫌な)時もあるじゃ~。金困ったとか、かかぁと喧嘩したとか、どうしても100円欲しいとか。それでも店に出たら声出して、いっつも明るく立ち向かえねぇとさ。いっつも同じ味、同じサービス。それがプロの商売人の基本じゃねえのと俺は思う。

たとえどんなときでも「いっつも同じ味、同じサービス。それがプロの商売人」と語る大信田氏(筆者撮影)

 そのためには元気な身体で店に立ち続けること。毎日朝5時に起きてはジョギングして身体鍛えているのも、この仕事は毎日が勝負。一杯のラーメンも粗末にできねぇからよな。商売ってな、難しいぞ」