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他店のマネじゃ「終わってる」

――本日で45年続いた柳家本店は閉店しますが、まだ岩手県各地や仙台、ベトナムなど11ある支店は営業を続けています。本店が終わることでここまで惜しまれるのは何故でしょうか?

大信田和一氏(筆者撮影)

「うちは店によって個性が違うのよ。支店もみんな人に任せてるからやってる本人たちが考えて、自分たちの味を出せばいいんだ。“これが決まりだから出せ”じゃねえの。俺とおかみさんがやってきた仕事が好きだからって寄ってきた連中じゃ。辛い店もあれば、つけ麺やじゃじゃ麺を出す店、なんでも好きにやらしとる。

 だから本店も本店しかねぇんだ。昭和50年に開店した時から俺とおかみさんで『これやるべ』、『あれやるべ』って独力であがいてもがいた3年、5年、10年。今も大変だけどやっぱ大変だったなぁ……。

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 でもその時期があったから、他店にないものができたのさ。『あのラーメン屋美味しいから真似すべえ』じゃ終わってる。お客さんに来てもらうにはどんな味を出すか。考える。地域的な特徴を出したり、『おっ! では食べてみるか』っていう面白いメニューを作ったりね」

鍋を振る手にも気合いが入る(筆者撮影)

――その中で完成したのが柳家名物の「キムチ納豆ラーメン」なんですね!

「んだな。俺は親父が早く死んで、高校2年の時におふくろが脳溢血で倒れてな。長男だから学校中退して、盛岡駅前の総菜屋に奉公に出て人生が始まったのさ。借金抱えて、妹2人と、小児麻痺の弟おぶって歩いて、本当にどん底さ落ちてしまったからな。死ぬこともできねえ、家族のためには俺がやらねばならねえ。そういうところから、味づくり、店づくり、人間づくりがはじまったのさ。

県内有数の老舗書店・さわや書店3階に店を構える「柳家本店」(筆者撮影)

 奉公先で働いて働いて、盛岡大通りの書店のビルの3階にやっと店を出した。ビルの3階なんて失敗するって反対されたし、大家にも『本屋のビルだから』って2回断られた。でもどうしても大通りでやりたくて『床の下の給排水、上の冷暖房、全部工事すればいい』って条件飲んだのさ。また、とんでもねぇ借金背負ったんだけどな」