文春オンライン

有楽町、上野、銀座…60年前の東京には何がある?《秘蔵フルカラー写真17枚・山手線東側編》

note

1950年代の銀座 ネオンが灯る都会らしい都会

銀座四丁目交差点(中央区)1959年6月28日 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 日本に来て何が印象的だったかというと、都心に都会らしい賑わいがあったことだ。東京、特に、人があふれる銀座は、日曜日は買い物客でごった返し、夜は夜でネオンが灯り、人々が集って賑わう、とにかく活気あふれる魅力的な場所だった。

 僕が日本に来た頃のアメリカでは、人々が、駐車する場所の確保できる郊外へと流出し、店やレストラン、映画館などの娯楽施設が、駐車場つきの広い場所を確保するべく、郊外へと移転していった。また、仕事を終えると人々も郊外の家へと戻ってしまう。

 そうした状況の中で、いわゆる大都会の活気が失われつつあったのが、50年代のアメリカだった。そのせいだろうか、東京、中でも銀座・日本橋界隈の賑わいが、僕の目にはとても新鮮で魅力的に映ったものだった。

ADVERTISEMENT

1950年代の新橋 戦争の空気が残ったまま

新橋駅付近(港区)1958年6月20日 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 新橋のどこで撮った写真か、今一つ記憶がはっきりしない。銀座寄りだったか、駅の裏手だったか。ただ、確かなのは、鉄道の発祥地として知られる「新橋」とは別の所だということだ。鉄道の発祥地は今の汐留だからだ。

 今でもそうかもしれないが、当時あの一帯は夜になると息を吹き返す地域だった。僕が写真を撮った時は、まだ前夜の残骸が残っていた。数日前にアメリカから着任し、米国空軍での勤務が始まったばかりだったあの日、混沌とした景色を見て、なんだか懐かしさを覚えてシャッターを切ったんだ。