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1960年代の六本木 首都高がないとこんなに空が広い

六本木交差点(港区)1964年10月2日 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 首都高が空を隠す前の六本木。三菱銀行の奥の丸い屋根が俳優座だ。六本木通りと外苑東通りの交差点を曲がる都電9系統。

1960年代の赤坂見附 今にも続くホームの面影

赤坂見附(港区)1964年2月2日 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 頭上は建設中の首都高新宿線だ。東海道新幹線や首都高、そして羽田空港へのモノレール建設も、ちょうどオリンピックにタイミングを合わせた。

赤坂見附駅(東京・銀座線)1962年3月7日 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 屋内を撮るのに実験的にフラッシュを使ったこともあるが、普段は使わない。これもフラッシュなしで撮った一枚。右奥に赤い丸ノ内線が見える。降りたホームの反対側で乗り換えができる構造は昔も今も変わらない。

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1950年代の元赤坂 ホテルニューオータニはこれから建設

元赤坂(港区)1958年8月 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 この写真は赤坂見附の交差点からちょっと離れた元赤坂一丁目付近で撮影したものだ。トラムの後ろの急カーブのあたりがちょうど元赤坂になる。

 道が掘り返されているのは、西銀座から新宿への丸ノ内線の建設工事か首都高建設のためだろう。都電の脇の荒れ地のように見えるところは、これからホテルニューオータニが建設される場所だ。という情報は、手元にある東京の地図で確認した。この都電には3という番号が付いているが、3系統というのは、品川から飯田橋を走っていた。車体が他の都電より小ぶりなのが特徴だった。

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