60年前の日本全国を貴重なカラー写真で撮影した『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』と『続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』(ともに光文社)がロングセラーとなっている。
著者は1927年生まれのアメリカ人、J・ウォーリー・ヒギンズ氏。1956年に初来日し、その後日本と日本の鉄道に魅せられて60年以上在住している。
60年前には貴重だったカラーフィルムで鉄道写真を撮り続け、現在はJR東日本国際事業本部の顧問を務めているヒギンズ氏。その写真集から、終戦直後に撮影された東京の様子を特別にセレクトし、一挙掲載する。今回は山手線の西側編。(全2回の2回目/山手線の東側編へ)
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1950年代の新宿 これが60年前のアルタ前!
都電が走っているのが明治通りだ。手前の通りは拡張工事の真っ最中。この通りの左奥が歌舞伎町だ。当時の東京には、数は少なかったがトロリーバスも数年の間走っていた。都電の右側に見える緑色の車体がトロリーだ。トロリーは十分活用される前に、バスと地下鉄の延長に飲み込まれてしまった。ちなみに、このトロリーは、その後ずいぶん経って作られた副都心線と似たような路線を走っていた。
1959年当時の東京のバスルートはかなりたくさんあった。都営だけでなく東急や西武などが、東京の中心部から、それぞれの会社が開発した山手線の外側の地へとバスを走らせていた。よく覚えている路線に、東京中央郵便局から等々力まで走るバスがあった。これは、都バスと東急の両方が走っていたように思う。
都電14系統(杉並線)は山手線の西側を走っていた都電で、これは新宿西口の写真だ(写真奥に当時の国電の線路が見える)。都営になる前は西武鉄道の路面電車(西武軌道線)が走っていた所で、その関係で、都電では唯一の1067ミリゲージの路線だった。だから車体も他の都電とは違う、2000形という特別なものだった。