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1960年代の赤羽 京浜東北線のホームは…
京浜東北線のホームを望む。昭和30年代から赤羽駅は複雑な作りだった。ふだんから利用していないと迷子になるような構造だ。
近年は埼京線まで入ってきたから、慣れない人にはますます分かりにくいことになっている。どのエレベーターやエスカレーターを使えばいいかがわかっていれば、バリアフリーにはなっているから移動自体はそれほど大変とは言えないのだが……。
とはいえ、昭和30年代に赤羽駅に詳しかったからといって、今行ったら、令和の赤羽駅では間違いなく迷子になるだろう。
1960年代の信濃町 オリンピックイヤーの駅舎には何がある?
都内の駅としては当時からこぢんまりした駅舎の信濃町駅だが、オリンピックイヤーの駅舎には「歓迎 WELCOME」の看板が掲げられている。駅の左手にある橋は、従来路面電車用と道路用に分かれていた別々の橋を、オリンピックに備えて、拡張一体化したものだ。