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ビルのない新宿、未舗装の表参道…1950年代の“東京五輪前夜”を撮した17枚のカラー写真《山手線西側編》

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新宿東口(新宿区)1960年12月31日 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 こちらは山手線の内側、靖国通りを走る都電12系統両国駅行き。

1950年代の渋谷 渋谷はいつも工事中

渋谷駅ヒカリエ側( 渋谷区)1957年4月5日 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 渋谷はたしかにいつも工事中だ。が、前述したようにそれが東京という街なんだ。1957年の工事は、自動車道路を拡張して平らにして、山手線の高架下を通し、新しくできた路面電車のターミナルとつなぐためのものだった。

 当時、駅のこちら側(今で言う渋谷ヒカリエ側)には東急文化会館という建物があって、その2階で買い物をしたり、良いバーゲンをしていないかと店をのぞいたりしたものだった。その敷地には今は新しいビルが建っている。こちらのファッションビルは、まだ住宅ローンや子育ての支出に追われない若い人たちの買い物の場になっているようだ。

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井の頭線渋谷駅(渋谷区)1960年8月 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 これはマークシティができる前の井の頭線の渋谷駅だ。渋谷駅を使って通勤していた頃は、よくホームの屋根がなくなるギリギリのあたりまで行って、井の頭線と玉電、そして銀座線の線路の終わりをカメラに収めたものだ。当時に比べるとホームが長くなった分、乗客は改札まで歩く距離も長くなった。一方で、お金を使うマークシティには簡単に出られるようになっている。

渋谷駅(渋谷区)1962年4月22日 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 銀座線が高架を走る。この写真を見てどこだかすぐわかる人は多いのではないだろうか。けれども、写っているビルも鉄橋もすでになく、代わりに大きな高層ビルが2棟、一帯を占有している。