いま全国でクマの襲撃が増えているが、史上最悪といわれる事件が起こったのは昭和45(1970)年。北海道で若き3人の岳人がヒグマの牙に斃れた。なぜ惨劇は起きたのか。その謎を解く鍵を握る人物が初めて口を開いた。約50年前の夏、あの山で「生死の天秤」が揺れていた。(全2回の1回目/後編に続く)
(「週刊文春」2020年10月29日号より、年齢や日付などは掲載当時のまま)
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「今でも何かの拍子に思い出すと眠れなくなるんです」
「あのときのことは自分の中で、この50年間、封印してきました」
自宅のリビングで筆者と向き合った吉田博光氏(87・仮名・以下すべて)は、ぼそりと切り出した。半ば予想していた言葉だったが、はっきりとそう告げられるとやや動揺した。それに構わず、吉田氏は続けた。
「今でも何かの拍子に(事件のことを)思い出すと、もういけない。夜も眠れなくなるんです」
その言葉が何よりも雄弁に50年前に起きた事件の本質を物語っていた。
〈クマに食い殺されていた〉
〈クマに襲われ三人不明 ――日高山系縦走の福岡大パーティー〉
1970年7月28日、北海道新聞に衝撃的な見出しが躍った。リードはこう続く。
【日高山系を縦走中の福岡大学ワンダーフォーゲル部のパーティー五人がクマに襲われた。二十五日午後から二十七日朝まで、逃げる学生たちに執拗につきまとい、次々と鋭いツメを振るってうち三人が行方不明となっているが、身のたけ二メートルという凶暴な大グマだけに、その安否が気づかわれている】
だが学生たちの家族や関係者の祈りも空しく、事態は最悪の結末を迎える。
〈クマに食い殺されていた 無残 全身にツメ跡〉(1970年7月30日付、西日本新聞)
3人の命を奪ったヒグマは、捜索隊に同行していたハンターたちの一斉射撃により、射殺された――。
これが昭和・平成を通じて史上最悪のヒグマによる獣害事件として知られる「福岡大学ワンダーフォーゲル部事件」の顛末である。