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加害グマの異様な執着心と攻撃性

 悲劇の舞台となった山の名は、「カムイエクウチカウシ山(以下カムエク山)」。アイヌの言葉で、「カムイ(神=熊)」が崖から転がり落ちるところ、という意味があるという。

 数あるクマによる獣害事件の中でも、この事件が異彩を放つのは、加害グマの異様な執着心と攻撃性である。そもそも、この当時、日高山系でヒグマが人を襲うということは、まず考えられなかったという。事件から15年後、当時捜索に加わった地元山岳会のメンバーは、こう証言している。

「日高山脈山岳センター」に展示されている加害グマの剥製(頭部を除く)

〈(当時はクマについて)問い合わせがあれば、日高のクマは声を出したり、ラジオを鳴らしたりすれば、逃げると案内を出していましたからね〉(「ヒグマ」No.18「座談会 福岡大学遭難事件を語る」より)

グループの明暗を分けたものは?

 では、なぜこのヒグマは学生たちを襲ったのか。

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 この事件については、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会による詳細な事故報告書(「北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書」)があり、また専門家による検証記事も少なくない。

 一方で事件当時、カムエク山には、福岡大学以外にも、北海学園大学、帯広畜産大学、鳥取大学、中央鉄道学園など複数のグループが入っていたことは一般にはあまり知られていない。

 とりわけ注目すべきは北海学園大学のグループだ。実は彼らは、福岡大学のメンバーが襲われる前日、同個体と思われるヒグマに遭遇し、やはり襲撃を受けながらも、犠牲者を出すことなく難を逃れているのだ。

 2つのグループの明暗を分けたものは、いったい何だったのか。

 北海学園グループの元メンバーに直接話を聞くべく取材を続ける中で辿り着いたのが、前出の吉田氏だったのである。

「あれから50年経ったのか、と」

 冒頭で「封印してきた」と語った通り、当初は取材を受ける気はなかったという吉田氏だが、取材依頼の手紙を読んでいるうちに気が変わったのだという。

「あれから50年経ったのか、と。自分の経験が今後何かの役に立つなら、お話しておこうと思いました」