現在87歳となった吉田氏は脳梗塞の影響で、身体の自由はあまりきかなくなったというが、その口調はしっかりしている。
「私は、北海学園の出身ではありません。事件当時は37歳で、山仲間で北海学園の2部の学生だったAさんに『日高にいくけどどうだ?』と訊かれて、二つ返事でOKしました」
このときの北海学園岳友会は夏山合宿ということで、総勢11名で3つのチームを組み、別々のルートでカムエク山に挑んだ。吉田氏はA氏と3人の学生とともにエサオマントッタベツ岳ルートの班に属すことになった(学生のうちの1人であるB氏は事件後、山岳雑誌「北の山脈」に手記を寄せている。以下の記述は、吉田氏の証言とB氏の手記によって構成している)。
こっちを見るヒグマと目があった
1970年7月24日。
前日のうちにトッタベツ川を渡り、エサオマン北東カール(圏谷)にテントを張った一行は、6時に起床。札内岳を経て、10時、エサオマントッタベツ岳(1902メートル)頂上に到着。美しい景色を堪能する間もなくキャンプ地へと向かう。30度を超える気温の中、14時20分、シュンベツ岳(1852メートル)の頂上に到着する。
「ここでみんな水を飲んだりして、休憩しました。私は小用を足すため、ササ藪に入ったんです」(吉田氏)
すると突然、ササ藪が「ガサガサッ」と揺れた。音のした方を見ると、ササ藪の上に上半身を出してこっちを見ているヒグマと目があった。
「まだ若いクマだな、と思いました。それほど怖いとは思わなかった。それでみんなのところに戻って『おい、クマだ、クマだ』と知らせて、みんな“ドレドレ”と見に行った」(同前)
前述したとおり、当時、日高山系でヒグマが人を襲った例はなく、こうした反応も無理はなかった。
後にこのヒグマは、3歳から4歳のメスと推定され、体長は130センチ程度だったことがわかるが、吉田氏の印象でも「それほど大きくなかった」という。
だがそのヒグマは、ちょっと様子が違った。