「まるで我々を“待っていた”ように見えた」
「不気味だったのは、まるで我々を“待っていた”ように見えたことです。シュンベツ岳の頂上で、いつも登山者が飲んだり食べたりして休憩することを知っていたんだと思います。そこにいけば人間が捨てた食べかすなどにありつける、と」
この証言は後ほど重要な意味をもつ。
ヒグマは、まっすぐ近づいてきたという。
「人間を怖がる様子もない。それまで山でヒグマを怖いと思ったことは、ありませんでしたが、一方で小さい頃よく大人から“ヒグマは怖いもんだ”と聞かされてもいた。それで、慌ててキスリングを担いで、頂上から降りたんです」(同前)
クマはしばらく頂上付近でウロウロしていたが、やがて匂いを辿るように吉田氏たちの後を追って下り始めた。
「たまたま私は列の最後尾になっちゃったんで、着実に距離を縮めてくるクマの姿が見える。こっちは重いキスリングを背負って、スピードはあがらない。思わず『おい、前、もっと急いでくれ! クマが来てる』と叫びました」(同前)
クマは10メートル後方にまで迫っていた。
「もうダメだ、と思ったら、ちょうど下山コースの途中に大きな岩があったんです。“あの岩に上れっ!”と夢中で上りました」(同前)
高さは2メートルほど、横から見るとまるで帽子のように上部が平らになっている岩だったという。
次の瞬間、クマが飛び掛かってきた
「岩の上は5人が登れるだけの広さがありました。そこで下山ルートを降りてきたクマと“にらめっこ”になりました」
時間にして3分ほど経った頃、クマが動き出す。姿勢を低くして、うなりながら、岩に手をかける。その毛は逆立ち、ヨダレが糸を引いていたという。
次の瞬間――。
「クマは5人の間を割るように、飛び掛かってきました。無我夢中で身をかわすと、勢い余ったクマはそのまま反対側の斜面を転がり落ちていった。本当に素早い動きで、今思い出してもよくかわせたな、と」(同前)
(後編に続く)