2021年11月、数々の作品を世に送り出した作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが、心不全により亡くなった。99歳だった。秘書として11年間をともにすごした瀬尾まなほさんは、しばらくその事実が受け止められず苦しんだという。

 寂聴さんの誰よりも身近にいた瀬尾さんが、その最期の日々を綴った『#寂聴さん 秘書がつぶやく2人のヒミツ』より、寂聴さんが「私の最後の恋人」と言うほどに大事な存在と、初めて出会ったエピソードを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

瀬尾まなほさんの結婚式で笑顔の瀬戸内寂聴さん 『#寂聴さん』より
 

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 私はこの10年あまりの間に、先生の秘書を続けながら結婚し、出産もした。初めての妊娠はいつも不安にかられていて、とにかく世間に知られたくなくて、最初の頃は隠していた。

「子どもが生まれたら寂庵に連れてきて、子どもの面倒を見るために瀬尾さんの母親や義母まで寂庵に入り浸るようになるよ」などと先生に吹き込む人がいて、それに影響されて先生も「子どもができたら働けないね」なんて言う始末。先生が喜んでくれると思っていた矢先のことで、妊娠をますます伝えられなくなり「子どもができたなんて言ったら、クビになるかも?」と落ち込んだ。

 先生と私だけなら何も問題がないのに、外野があれこれ、ありもしない憶測をぶち込んでくると、先生は意外と大きく影響を受けて揺れてしまう。だから、お腹が隠れる服を着ている私に、周りの人が「赤ちゃんいる?」と聞いてきても、「違いますよ~」なんて否定していた。

 先生に伝えたのも、妊娠7カ月の時だった。先生は想像以上に喜んでくれて、私をクビにはしなかった。みるみる大きくなるお腹を見ては、「日に日に大きくなっていってる! スイカのよう!」と触ってくれる。「無事に生まれてほしい」と私が不安そうに言うと、「大丈夫に決まってる!」と言ってくれた。

白無垢で記念撮影 『#寂聴さん』より

「観音さまにお祈りしなさい」と言われ、私は妊娠してから、寂庵のお堂へ毎日行き、「無事に生まれてきますように」と拝んだ。それまではお堂で拝むことなんてしたことなかったのに!(罰当たり)

 マタニティブルーだったのだと思う。いつもビクビクしていたし、賞味期限が切れた卵を食べて腹痛で下痢になったときも、救急に駆け込んで「赤ちゃんに何かあったらどうしよう」なんて大騒ぎ。結局、何もなかったけれど。何もかも初めてで、悪い話を聞くと、お腹(なか)の中で無事に育って、生まれてきてくれることが奇跡なんだと思うようになった。