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「あんちゃん」と「チビ」の関係

 先生は、4歳だった娘さんを置いて家出をして以来、子どもを育てたことがない。お孫さんもひ孫さんも外国にいるため、年に1、2回会うぐらいで、子どもが育っていく様子を近くで見る機会がほとんどなかった。

 だから、何もできずに寝っ転がされていた息子が、ハイハイし、歩くようになり、自分の意思が出てきて……人間が成長していく過程が、興味深く面白かったのだと思う。

 息子も、先生のことをちゃんと認識し、抱きついたり、手を引っ張ってどこかへ行こうと誘ったり。よく構ってくれて遊んでくれるので大好きなようだった。

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 ある日、先生と息子が先生の部屋にいるとき、私は隠れてその様子をこっそり見ていた。どこからか見つけたお菓子を、息子が「開けて」といい、先生が封を開け、お菓子を自分の手のひらに出した。そのお菓子を、息子が自分で食べるかと思えば、まず先生の口に持っていった。先生が食べると、次に自分の口の中に入れた。

 その自然な行動に私は感動してしまった。まずは、「自分」じゃないんだ。「先生」なんだ。その光景から、2人の関係性がわかる気がする。

 息子が口にする先生の呼び名は、寂庵の庵主なので「あんちゃん」。あんちゃんのこと、もちろん息子はどんな人かなんて分かっていない。肩書や職業で判断していない。自分が好きな人、という一心で息子はあんちゃんへ飛びついていく。

 先生が言う。「チビは邪気がないから好き。でもあの子、わかっているよ。私が普通のおばあさんではなくて、何かしている人だってこと」

 先生のこと、息子の記憶にはきっと残らないだろう。本当に理解する日を待たずに、先生は逝ってしまった。

「チビのノーベル賞の授賞式に私も行きたいけど、行かれないのが残念」と先生は言っていた。先生にもう少し長生きしてもらい、息子と過ごす時間を長くできればよかったのに。以前は、息子が生まれたことで、そんなに先生の活力になり、先生が喜んでくれるとは思いもしなかった。

 先生曰いわく、息子は「私の最後の恋人」だそう。息子が来るとなるとお化粧をしていた先生。この2人の関係は私が思っている以上に濃く、強いものだったのかもしれない。息子よ、生まれてきてくれて本当にありがとう。

#寂聴さん 秘書がつぶやく2人のヒミツ

瀬戸内寂聴秘書 瀬尾まなほ

東京新聞

2022年2月2日 発売