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ビルのない新宿、未舗装の表参道…1950年代の“東京五輪前夜”を撮した17枚のカラー写真《山手線西側編》

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宮益坂(渋谷区)1957年4月5日 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 渋谷駅から宮益坂を上り青山へと向かう都電は、従来のルートを通ったが、坂を下るときは、新しくできた渋谷駅前ターミナルに入るために、違うルートを通ることになった。それで使わなくなった下りの線路を撤去中の写真がこれだ。

1960年代の飯田橋 首都高もビルもない

飯田橋駅(千代田区)1964年12月4日 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 飯田橋駅のホームから神田川を眺める。64年当時は、バスと都電が走っていた。都電はここから、日本橋、茅場町へと向かう。高層ビルがほとんどなく、首都高もなく、青空が広がっているのが、今見ると印象的だ。

1960年代の池袋 巣鴨拘置所の跡にサンシャインができた

池袋駅東口(豊島区)1961年5月13日 ©J・ウォーリー・ヒギンズ

 この写真は、西武百貨店の屋上から東口方面を撮ったもの。発展という意味では池袋は新宿や渋谷に後れをとっていたが、そうは言っても、元々奥地だったところを住宅用に開発して、そこからの人を都心に連れてくる西武池袋線と東武東上線があった池袋は、昭和30年代、すでにかなり賑やかな場所ではあった。記憶が正しければ、池袋の西武百貨店本店は、当時都内で一番大きなデパートでもあった。

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 その後、サンシャインシティが巣鴨拘置所跡にできた。アメリカでは都市によっては拘置所が雇用機会を生み出す重要な産業だというところもあるが、日本では、拘置所は開発の理由にはなっていなかった。