愛子さまが初めてリンクにあがったのは、4歳の頃。黒田清子さんもちょうど同じくらいの年の時に初めてスケートを始められたので、清子さんの時と同じように、ご主人の文雄さんが愛子さまを膝に抱え、少しスピードがついたところでリンクに下ろすところからスタートした。
「はじめは怖がっておられましたが、こちらの言うことをよく聞いてくださり、一日でペンギン歩きができるようになりました。小学生になると、佳子さまがフィギュアスケートをなさっていた影響もあり、『ジャンプを跳びたい』とおっしゃっていました」
運動神経がよい理想の生徒
足にぴったり合った靴を選び、足と靴を一体化させることがスケートでは何より大事だと話す長久保さん。陛下に比べてスケートを滑る回数が少なかった愛子さまは、成長期には毎年足のサイズが変わり、スケート靴を合わせるのが大変だったそうだ。それでも、持ち前の運動神経と判断力でスケート技術を高めていく愛子さまに、長久保さんは指導者として喜びを感じていたという。
「愛子さまは身体能力が高く、勘もよいので、言われたことをすぐ理解して実践してくださいました。指導者として、教え甲斐のある生徒です」
最初は陛下と雅子さま、愛子さまの3人でスケートに来ていたが、それでは寂しいという雅子さまのご発案で、愛子さまのご学友10人前後も一緒に参加するようになった。
リンクの上では指導者に任せる、というスタンスだった両陛下は、愛子さまの手を取って一緒に滑ったり、愛子さまのスケーティングに対して何かおっしゃったりすることは一切なかったという。
「リンクでは必然的に指導者である私と1対1になってしまうのですが、小学校低学年のお子さんにとって、2時間のマンツーマンレッスンは大変ですよね。スポーツは、お友達と一緒にやるなかで上達する部分もありますから、そういうことも踏まえてお友達を呼ばれたのではと思います」
練習中はあまりムダ話はしなかったという愛子さま。だが単に内向的というわけではなかったと長久保さんは言う。
「練習の最後に2チームに分かれてリレーをすると、愛子さまはとても喜んでおられました。控え室でも、女官さんが持って来てくださったお茶やお菓子を前に、お友達と楽しそうにおしゃべりされていました」