夫がこのリビングで命を絶って、もうすぐ2年と8か月になる。一人で自宅にいると、ふっと夫の気配を感じることがある。先日こんなことがあった。
東日本大震災で夫が行方不明になった女性。9年半が過ぎたある夜、夢で夫が頬を触れてくれた。振り返ると笑っていた。幽霊でもいいから会いたい。そんな切ない記事を毎日新聞で読んでびっくりした。だって、そっくり同じことが私にも起きたから。
夢で夫が肩をポンと触ってくれた。あれはどうしてだったんだろう? 意味を考えていたらその夜は眠れなかった。今、あれは「裁判頑張って」というつもりだったんだと思うことにしている。その方が元気が出る。左肩が、夫の触れた感触をまだ覚えている。私も、幽霊でもいいから会いたい。
情報開示訴訟の2回目の弁論前、和歌山県を訪ねた
森友公文書改ざんで、財務省近畿財務局の職員だった夫、赤木俊夫(享年54)がおととし、命を絶った。妻の私、赤木雅子(49)は真実を求め2つの裁判を起こしている。1つ目は、国と、改ざんを指示した佐川宣寿元財務省理財局長に対する損害賠償訴訟。2つ目は、夫の公務災害を認めながら、その理由を示す文書をなかなか開示しようとしない近畿財務局に対する個人情報開示訴訟。きょう11月5日は、2つめの情報開示訴訟の2回目の弁論だ。
この裁判を前に私は和歌山県を訪ねた。25年前の阪神・淡路大震災の年、私たち夫婦の結婚式で仲人をしてくれた方は和歌山の出身で、かつて夫の上司だった。もうすぐ退職するので「財務局に長く残る別の上司に頼んだ方がいいんじゃないか?」と遠慮されたが、夫はその方を深く信頼していたので「どうしても」と頼んだという。それから8年後にその方は亡くなった。私は和歌山県内でその方のお墓にお参りして手を合わせた。
ご自宅で奥様と思い出を語り合っていると、結婚式での仲人のあいさつの文面を探し出してくれた。夫にいきなりプロポーズされた私が、さすがに即答できず急性胃炎になったというエピソードを披露し、「そんなに急に返事はイエン、というところでしょうか」と笑いを取っている。その後だ。
「新郎は知識も豊かで『信ずるところ臆せず行動する』という点において誠に青年らしく頼もしい限りでありますが、老婆心をもって申し上げれば、そこが一つ心配な点でもあります」