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梅沢富美男の真髄はワイドショーに非ず 「お前は必ず売れるから」人気漫画家が救った役者の道

11月9日は梅沢富美男の誕生日

2020/11/09

 きょう11月9日は、梅沢富美男の70歳の誕生日だ。

 若い世代には、『ミヤネ屋』『バイキング』などワイドショーのコメンテーターや、バラエティ番組『プレバト!!』で俳句の才能を発揮するなど、テレビでの顔のほうがおなじみかもしれない。

ワイドショーやバラエティでも活躍する梅沢 ©文藝春秋

 だが、本業は大衆演劇の役者であり、「梅沢富美男劇団」の座長も務める。舞台では喜劇で三枚目を演じたかと思えば、艶やかな女形に扮して舞ってみせ、観客を魅了している。40代以上であれば、ヒット曲「夢芝居」(1982年)を思い出す人も多いだろう。

初舞台で“天才子役”として評判に

 初舞台は1歳7ヵ月というから、芸歴もすでに70年近い。父・梅沢清は剣劇出身、母・竹沢龍千代は娘歌舞伎のいずれも人気役者で、結婚して劇団を結成した。その劇団が仙台で公演中、幼い梅沢は幕間の休憩時間に花道で遊んでいたところ、「伊那の勘太郎」という曲が流れ出し、役者の見様見真似で踊ってみせた。

 これが観客に大受けし、母親は「これは芸事の神様に選ばれた子供じゃないか」と思ったらしい。そこで急遽、彼にかつらと衣装を仕立てて舞台に出すと、大当たりする。天才子役として話題を呼び、以来、劇団は子役中心の出し物に切り替えて全国を公演して回ることになった(※1)。しばらくして11歳上の長兄の梅沢武生も劇団に入ってきたが、演技が下手で、周囲の人からはいつも幼い弟の富美男に聞けと言われていたという(※2)。

1982年発売の「夢芝居」は大ヒット

 その後、義務教育はきっちり受けさせるという父の方針で、梅沢は子役をやめて福島の祖母の家に預けられ、地元の小学校に通った。ちょうど劇団の経営が映画やテレビに押されて厳しくなっていた時期だった。給食費の支払いもままならない貧乏生活に、絶対に役者になんかなるもんかと思っていたという。それが再び劇団に戻ったのは、中学卒業まぎわ、東京で公演中の兄・武生から呼び出されたのがきっかけだった。