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2020/11/09

「下町の坂東玉三郎」人気とレコードデビュー 

 梅沢いわく《僕みたいに顔の特徴がないほうが化粧映えするんですよ》とのことだが(※4)、それが功を奏し、やがて女性週刊誌が彼を「下町の玉三郎」と、歌舞伎の女形・坂東玉三郎になぞらえて紹介したのを機に人気が爆発する。

1983年の書籍には“下町の玉三郎”の文字が

 32歳だった1982年には西田敏行主演のテレビドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(市川森一脚本)に旅役者の役で出演、同年11月にリリースした「夢芝居」は翌83年にかけて大ヒットを記録、NHKの紅白歌合戦にも初出場した。

 じつはレコードを出さないかとのオファーは、ドラマが人気を集めるに従っていくつも来ていたが、すべて断っていた。しかし、キングレコードのディレクター・伊藤菊佳だけは、いくら断ってもなかなかあきらめてくれない。

 そこで無理難題を言えば引き下がるだろうと、梅沢がファンだったシンガーソングライターの小椋佳が作詞・作曲するなら歌うと伝えた。ところが伊藤は見事に小椋からOKを取ってきてしまい、あとに引けなくなってしまう。

 一方、小椋も伊藤の熱意に押されて引き受けたものの、正直、当初はあまり気が進まなかった。それが梅沢の公演を観に行ったところ、彼の巧みな演技に加え、アドリブの効いたセリフで会場を沸かせる話術に、《役者として、エンターテイナーとして、凄まじい才能を持ったこの人のためなら曲を作ってもいいな、と思えた》という(※6)。「夢芝居」はこうして生まれた。

 イントロにエレキギターを用いた演歌らしからぬ斬新なアレンジもあいまって、「夢芝居」は人々の心を捕えた。アレンジを手がけた桜庭伸幸はこれを機に売れっ子となり、石川さゆりの「天城越え」の編曲なども手がけることになる。ちなみに曲の出だしの拍子木は梅沢自身が打っている(※6)。

30年後の再ブレイクはワイドショー

「夢芝居」のヒットから30年後、2012年にワイドショー『ミヤネ屋』に出演し始めたころからテレビ出演が増え、梅沢ブームともいうべき状況が続いている。

現在はコメンテーターとしての顔も見せる ©文藝春秋

『ミヤネ屋』からコメンテーターを依頼された当初、中学しか出ていないからと断ったが、あるとき家で義母が友人たちと一緒にテレビのニュースを見ながら怒っているのを見て、こういう一般の人たちの代弁だったらできるかもしれないと思い、一転して受けることにしたとか(※5)。