空気が一変、重苦しい空気が充満していた
詩織は、夕食の後、食事の後かたづけのためひとり台所に立った。
食器を洗い、ゴミを捨てシンクを綺麗に洗い、ガス台を拭いた。米をとぎ、ごはんを炊く水量の微妙な調整は、まだ不慣れでできなかったが、せめて炊飯器の釜を綺麗にしようと思い丁寧に洗った。時間にして30~40分かかった。
周囲がすっかり綺麗になりいい気分で、コタツのある部屋に戻る。すると、さきほどの談笑の空気とは一変して、両親、茂、弟の間に重苦しい空気が充満しているのに気づいた。
〈家族のどの顔も、重苦しく、怒りと不満の固まりのような色がありありと浮かんでいました。普段なら、私が洗いものなどして部屋に戻ると、ママが畳をたたいてここに座れと合図をしてくれて、そのあとお茶を入れてくれるのが慣わしでした。しかし、ママは、そんなことも忘れ、何かしきりに話し込んでいました。
私はどこに座ったらいいか迷い、コタツから1メートルほど離れたストーブのそばに座りテレビ番組に見入ったのです。そのときテレビでは日本の人気コメディアン、志村けんの「バカ殿様」をやっていました。〉
日本語は十分に分からない詩織だがテレビ画面の雰囲気は伝わってくるので「バカ殿様」の仕草に思わず大声で笑いそうになった。しかし、コタツでは眉間にシワを寄せて話し合う家族がいたため、あわてて声を押し殺した。
コタツのほうでは、義母(ママ)が大声で何か主張し、普段はめったに口を開かない義父(パパ)も、もそもそと話をしている。茂も大声で反論しているように見えた。茂の弟も何か、たえまなく話をしている。彼らが話している内容は普段聞き慣れていた日本語とは違っていたので、詩織にはまったく理解できなかったという。
〈私がママの作ったカレーを「おいしそうね」と言ったときのママの笑顔はどこにもありません。今のママは冷たく怖い感じさえします。パパの重くるしい表情は、とても不快そうで青白い。茂さんも青白い。みんな喧嘩しているのでしょうか。
でも分からない。私は日本語が聞き取れなかったから、うまく理解できませんでした。しかし「聞き取れない」ことによって私はたくさんの不必要な悩みを知らないでいることができたのでしょうか。喧嘩のような重くるしい雰囲気はずっと続きました。
しかし、私はもうお風呂に入る時間です。自分たちの住まいに戻る前に洗濯物の一部をもっていくことにしました。すべてもっていくとお風呂場が洗濯物で一杯になってしまいます。私は部屋を出る前に皆に一言、「おやすみなさい」と声をかけました。すると、ぽつり、ぽつりと「おやすみ」と返事が返ってきましたが、なんか少しぶっきらぼうで、冷たい感じさえしました。