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「おいしい肉まんをつくってあげます」 中国人毒婦がコタツを囲んだ“鈴木家最後の晩餐”

『中国人「毒婦」の告白』#3

2020/11/19
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 2006年、“中国人妻の夫殺人未遂事件”が世間を騒がせた。お見合いツアーを経て結婚した中国人妻の鈴木詩織が、親子ほども年の離れた夫、鈴木茂に、インスリン製剤を大量投与するなどして、植物状態に陥ったのだ。夫の目を盗んで性風俗で働いていたことや、1000万円で整形した等との噂も影響して、センセーショナルな報道が相次いだ。そんな中、事件記者として取材を進めていた、田村建雄氏は、獄中の詩織から300ページに及ぶ手記を託される。取材の様子を『中国人「毒婦」の告白』から抜粋して紹介する。

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豊かな国に来て、自分も豊かになることを夢見た

〈日本の風習も言葉もわからず、日本は美しい国だとあこがれて嫁いできました。茂さんを選んだのは、お見合いのとき、やさしくみえたからです。しかし、いろいろなことがわかったときは生活のすべてがドロ沼のように思えました。

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 だから私は、もっと外に出て働きたかったのです。自由が欲しかったのです。豊かな国に来て、自分も豊かになること、そしてすべてが満たされていくことを夢みただけだったのです。あとは何も望んではいませんでした。日本の女性はみんな着物を着て、しとやかで美しいと思っていました。日本に来て驚きました。華やかな日本を想像していましたが、それとはまったく違った千葉県光町の街並みは中国の私の街より田舎でした。〉

※写真はイメージ ©️iStock.com

 後に、私は、彼女の生まれ育った中国の故郷近辺に行くことになるが、「光町は中国の私の街より田舎でした」というのは、いささかオーバーであろう。唯、彼女のイメージと現実との落差が、それほど大きかったということだ。

 ともあれ、当時の中国人花嫁の多くが、詩織と同様に、経済大国日本にあこがれ、自分も、中国の家族も含めて、「豊かになれるのでは」との思いを抱いて来日したことは間違いない。中国の地方では現在でも、売買婚が半ば公然と行われており、そうした風土で育った彼女たちが「私は日本に嫁ぐのであって、相手の男性に愛はありませんでした」と考えるのも、ある意味至極自然だったのかもしれない。