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「おいしい肉まんをつくってあげます」 中国人毒婦がコタツを囲んだ“鈴木家最後の晩餐”

『中国人「毒婦」の告白』#3

2020/11/19
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来日時の金銭トラブル

 私は不安の中、数日を過ごしました。この間、親戚や近所の人が私を見に来ました。私は中国で習った日本語で何とかなるだろうと思っていたのですが、実際はまったくだめでした。まるで音の聞こえる聴覚障害者のようで、彼らの言葉は鳥が木の枝に止まって鳴いているようにしか聞こえませんでした。

 私が中国で習った言葉? あいうえお、かきくけこ、おはよう、こんにちは、こんばんは、ありがとう、みず、ごはん、トイレ、以上です。〉

 詩織にとって、あこがれの日本。どこにいっても豊かで華やかだと信じ込んでいた日本。しかし、それとは裏腹に自分たちが住んでいた中国の田舎町よりも、さらに田舎にさえ思えるような日本の農村。

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※写真はイメージ ©️iStock.com

 詩織の日本での嫁ぎ先は前記のように小田部地区だ。JR横芝駅から車で商店街を抜け田園地帯、里山の間を縫って15分ほど走ったところに、少し高台となっている地がある。そこに寄り添うように数十戸の兼業農家を中心とした集落があり、それが小田部地区だ。この地区の特徴は狭い集落に細い道路が複雑に入り組み、そして無数の坂が縦横に入り組んでいることである。周囲は鬱蒼とした欅、樫、高野槙などの木々が各家の垣根になり、ところどころに雑草群がある。そのため海にも近く関東平野の田園地帯の中なのだが一瞬、九州か長野か山陰地方の山あいの集落にでもいるのではないか、という錯覚にさえ陥る。

 詩織の嫁いだ鈴木家は、その集落のはずれの、さらに奥まった窪地の一角にあった。鈴木家の母屋は築50年以上は経た藁葺き。そこに両親が住み、詩織たち新婚夫婦はその脇の倉庫を改造した小さな2階建ての家屋に住んでいた。後に茂の弟が一時期同居し1階の車庫も居間に改造されたが、詩織が嫁いだころはその2階がささやかな新居。風呂はその建物の外にしつらえてあったというから、モダンな都会ぐらしを夢見ていた詩織の目には周囲の雑草群の中から狐や野うさぎがいつ出てきても不思議ではない光景に見えたことだろう。

※写真はイメージ ©️iStock.com

 しかも、手記によれば、結婚するとき、旅費など、詩織の家族に支払われるはずだった金が支払われておらず、茂とゴタゴタしたとある。彼女もまた斡旋途中でのトラブルに巻き込まれた可能性が高い。