「合格体験記で『将来は医者になって人を助けたい』と話す人はいるけど、それは言わされているんじゃないかな。高校生、いや、大学生になっても将来のことは考えられないですよ。友人が理三に行くから、周囲に合わせて受ける人、自分の実力に見合うからと受ける人が多かったと思います。灘に限らず、筑駒もそうでしょうが、それがのちのち医師としての適性面で問われるケースにつながったのは残念です。医療事故、製薬会社からの収賄、研究不正などです」
上さんは理三に合格できなかったら京大医に行くつもりだったという。1年浪人しても翌年、理三に受かるとは限らないと思ったからだ。次の年に、灘などの天才、秀才集団が待ち構えている。
東大京大で起こった「水増し入学」「定員割れ」
1988年はどうだったか。
東京大と京都大に合格した受験生は約1200人だった(大学通信調べ)。ダブル合格者の高校別ランキングは(1)灘59人、(2)開成37人、(3)東大寺学園36人、(4)洛星34人、(5)東京学芸大学附属、甲陽学院が各28人、(7)麻布、洛南26人(「サンデー毎日」1988年4月10日号)。
上位8校中、半分以上は関西なのは、京大入試日が東大よりも前だからだろう。関西の受験生は地の利がよい。関東の受験生にすれば東大入試前に京都へ出かけるのはしんどい、という思いがあったはずだ。京大入試東京会場があれば、関東の受験生が殺到しただろう。
前年以上に、東京大、京都大はダブル合格者の動向が読み切れず、大混乱した。
東京大は定員よりも288人水増し入学させている。京都大や他大学医学部に流れることを見越してのことだった。しかし、フタをあけてみると373人も入学を辞退した。その結果、102人の定員割れを起こしてしまう。東京大は3月下旬になって、102人に電子郵便で追加合格を知らせた。すでに私立大学あるいは予備校に授業料を払い込んでいる者が多かった。
東京大の大幅な水増し合格のおかげで、予想を越えた合格者数を出した高校が少なくなかった。神奈川県立横須賀高校もその1つである。驚きを隠さなかった。「現役11名(うち理三2名、現浪あわせると18名)が合格したことは、ここ20年以上みられなかった『大異変』であった」(『横須賀中学・高等学校八十年史』1989年)。
一方、京都大が1263人の水増しで、1159人が辞退している。結果、104人が定員オーバーとなった。学生が多くなり、教育の質が維持できなくなるという懸念が生じている。