W受験で起こった異変
1987、88年は異常入試としか言いようがない。
東京大、京都大のダブル受験によって、関西の進学校がおおいに注目された。東京大合格者を大幅に増やしたからである。試験日は京都大のほうが早かったので、受験は「力試し」「模擬試験」感覚で京都大を受けた受験生もいた。
これは、東大合格高校の動きにも大きな影響を与えている。関西の私立4校が合格者を大幅に増やした。1986年、87年、88年の推移は次のとおり。洛南5人→34人→34人、洛星28人→56人→66人、東大寺学園21人→38人→63人、甲陽学院32人→57人→56人。
東大寺学園が87年から88年にかけて急増したのは、87年に「ダブル受験で先輩たちが東大に受かっている。ならば俺たちも東大を受けよう」と、これまで京都大だけを受験した生徒が東京大にどっと押しかけたからと、当時の教員が話してくれた。
京都大合格者でも異変があった。灘高校が87年29人だったのが88年102人となり、京都大学合格高校で初めてトップに立っている。しかし、その多くが東京大に進んだ。
神童たちの行方
東京大、京都大の併願可能な入試は、両大学にとっては入学者数が読み切れず、たまったものではなかった。ノーベル賞受賞者数では東京大を凌駕していた京都大にすれば、プライドをズタズタに傷つけられてしまった。東京大も京都大や他大学医学部に逃げられてしまう受験生が続出して入学者確保に右往左往して、追加合格者をバンバン出してプライドをかなぐり捨てることになった。
大学入試の歴史において、この2年間はかなりのムチャを強いており、明らかに失政である。大学、高校関係者はみな怒り心頭に発していた。だれがこんなバカな設定をしたのかと。当然、早急に見直される。
1989年から、東京大、京都大の試験日は事実上、同じ日程に調整され、ダブル合格はなくなった(京都大に合格後に入学手続きをせず、東京大受験は可能)。
東京大、京都大ダブル合格から30年後。その天才、秀才ぶりは発揮されているだろうか。