上田剛史――。
この選手をどのように評価すればいいのか、僕はずっとわからなかった。そして、わからないまま2020(令和2)年オフ、戦力外通告を受けてしまった。通告を受ける前日、神宮球場では今季最終戦が行われた。奥川恭伸がプロデビューを果たしたこの日、上田は途中から出場して3回打席に立っている。
これは完全な後出しじゃんけんとなってしまうけれど、神宮球場ライトスタンドの一角から上田の姿を見ていて、「来年も背番号《50》の姿を見ることができるのだろうか……」と不安な心持ちになった。一緒に観戦していた編集者に「上田、来年大丈夫かな?」とふと漏らしてしまったけれど、彼はいまいちピンと来ていない様子だった。
そして、その翌日。戦力外通告がなされた。新聞報道ではこのように記されている。
10日の最終戦広島戦(神宮)にも出場していただけに通告は衝撃だった様子。「単純に戦力になれなかったということ。悔いが残る」と言葉少なだった。(日刊スポーツ・20年11月12日付)
……えっ、そうなのか? 記事を読んで驚いた。上田自身はこの通告を予期していなかったのか? この記事からだけでは、上田の本心はわからないけれど、プロ14年目の32歳。故障による二軍降格があったとはいえ、出場機会が年々減少している現状で、来季に向けて楽観視することなどあり得るのだろうか?
プロ14年間の通算成績をひも解いてみる。通算797試合に出場して、1462打数345安打9本塁打、打率は・236。決して特筆すべき数字を残したわけではない。けれども彼には、数字以上の存在感があった。さまざまなエピソードの持ち主だった。2006(平成18)年高校生ドラフト3巡目で関西高校からヤクルトに入団。高校時代には甲子園で早実の斎藤佑樹からホームランを放っていたことが話題となっていた。
プロ入り後も、さまざまな話題を振りまいた。主に「野球以外」で。もちろん、一ヤクルトファンとして忘れ難いプレーはいくつもある。また、一人のライターとしても、上田には思い出がある。……いや、「思い出」などという生易しい言葉ではなく、「恩義」があると、僕は勝手に思っている。
上田剛史に対する、超個人的な「二つの恩義」
昨年、僕は『再起 東京ヤクルトスワローズ 傘の花咲く、新たな夜明け』(インプレス)と題する本を出版した。これは、この文春野球に書いた原稿を基に2018年のヤクルトの折々の戦いを一冊にまとめたものだった。ご存知の方はこの表紙を思い出してほしい。そこにはサヨナラホームランを打って、ホームインする瞬間の上田の姿が写っている。
台風21号の影響による大嵐の中での観戦だった。6点差をひっくり返しての大逆転勝利。あまりにも強風のため、ビールはまったくおいしくなかったけど、忘れられない一戦となった。もしも「2018年ベストゲームは?」と問われるならば、僕は迷いなく、「9月4日の上田のサヨナラ3ラン!」と答えたい。あの一発は劇的だった。感動的だった。
この日の観衆は1万4582人と発表されている。しかし、天候と大味な試合内容のせいで、試合中盤時点で多くの観客がすでに帰宅し、歓喜のサヨナラの瞬間を見届けたのは、この数よりもずっと少なかった。試合が終わったのは22時39分だった。とにかく長い試合だったけれど、本当に久々にガラガラのライトスタンドから見るサヨナラ弾は、秋の訪れを感じさせる物悲しくも、実に美しい光景だった。
だからこそ、僕はこの日の上田の雄姿を表紙にしたいと考え、編集者に相談し、無事に了承を得たのだ。さらに、僕にはもう一つ、上田への「恩義」がある。2017年には『プロ野球語辞典』(誠文堂新光社)という本を出版した。これは、僕が勝手に「これは大事だ」と思う「プロ野球語」を辞典形式で解説していくおちゃらけ本だった。
この本の中で、僕は「知人男性」という言葉を紹介、解説している。以下、本文より引用したい。
【知人男性】
2015年、『FRIDAY』誌にヤクルト・山田哲人がスクープされた際に、一緒に写っていたチームメイトの上田剛史。しかし、上田の写真には目線が施され、キャプションには上田の名前はなく、ただ「知人男性」と記されていた。本人はそれを持ちネタとして、優勝祝勝会では「知人男性」のタスキをつけたり、球団も「知人男性」ピンバッジを作ったりするなど、完全に自虐ネタとして定着している。
ここに添えられたのが、盟友・佐野文二郎画伯のすばらしいイラストだった。本書発売時の宣伝では、このイラストと文章を大々的にPRしたところ、この本は売れた。自分で言うのもなんだけれど、すごく売れた(笑)。おかげで、今年『プロ野球語辞典2』を出版することができた。これは、間違いなく上田の「知人男性」効果だったと思う。