目には見えない、けれどたしかに存在している――。そういう現象や力って、世にはたくさんある。
たとえば、磁力だとか。理科の教材で配られた磁石を使って、砂鉄で絵を描き遊んだ思い出を持つ人も多いのでは?
見えないはずの磁力というものを、目で見て感じられるようにしてくれるアーティストがいる。高畠依子である。東京六本木のギャラリー、シュウゴアーツで個展「MARS」を開催中だ。
磁力を用いて絵を描く方法とは
床、壁、天井まで真っ白に塗られたギャラリー内に整然と並んでいるのは、幾枚ものキャンバス。画面には黒一色の油絵具で、線と円を組み合わせた模様が描かれている。
不思議なのは絵具がところどころ毛羽立って、ピンピン尖っていること。近寄って見ればトゲがハネている方向は一様で、きれいに揃っている。何か強い力に引き寄せられでもしたかのよう。
そう、これらの絵が描かれるにあたっては、磁力が大いに活用されているのだ。毛羽立っているのは、磁力が絵の具をぐいと引っ張った痕である。
磁力の作用を使って絵を描くとは、具体的にはどういうことか? 制作プロセスはこうだ。
ことは素材選びから始まる。シリーズを描くにあたり高畠依子が用いた油絵具は、1種類に限定されている。「マルスブラック」という、酸化鉄から成る黒色の顔料だ。
この黒の油絵具を、高畠はちょっと特殊な方法で使う。デコレーションペーパーのような袋に絵具を放り込み、小さい穴を開けて絞り出しながら線を引いていく。菓子作りの際にクリームを絞り出す要領を思い起こすといい。
細かく縦の線を無数に引いていき、次は横の線も同様に。縦横に張り巡らされた線で画面を埋めていくのが、高畠のいつもの流儀。まるで絵具で布を織っているみたいである。
思えばそもそも、絵を描くキャンバスとは麻などの織物でできている。高畠は絵具によって、キャンバスの上にもう一枚の布を重ねているようなものだ。
高畠はなぜキャンバスの上に、さらに布様のものを重ねたりするのか。それは次のような考えに依る。
油彩画というものを原点に戻って考えてみるに、材料となるのは絵具とキャンバスだけである。通常はキャンバスを支持体にして、そこに絵具で何か具体的なイメージを描き付けて絵はつくられる。でも絵画には、もっと他の可能性だってあるはず。
そう考えた高畠は、キャンバス上に絵具による織物を生み出してみた。織物を織物で覆ってみたのだ。すると、いつもは絵具で隠されてしまうキャンバスの存在が、際立ち浮き上がって見えてきた。絵具、それにキャンバス。絵画を構成するたったふたつの材料が、対等の関係でここに一体化された。こういう絵画があってもいいと、高畠には思えた。