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「勝手な指導はするな」と言われた教員時代

 実際に私が教育現場で働いている際にも、教員のリスク回避傾向が目立つ場面がしばしばあった。

 学生時代より小論文指導の経験があった私は、有志の生徒に放課後、推薦やAOに向けた指導を行っていた。受け持つクラスの最初の授業で、「見てほしい人は見るから放課後来てね」と呼びかける形である。

 10人前後の生徒の小論文を添削するようになってしばらく経った頃、私はある日学年主任に呼び止められた。私と同年代で、チャレンジ精神に満ちた気鋭の教員であったが、いつになく険しい顔をしている。彼が小声で言うことには、私が小論文を指導している生徒の担任から、私に対してクレームがあったというのである。「担任の管理の及ばないところで指導をされると、万が一の時に困る」ということらしい。

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トラブル回避至上主義がはびこる教育現場

 私はしばらく、何を言われているのかわからなかった。それが顔に出ていたのか、学年主任は「もしその、生徒が落ちたりしたときに、親から何か言われたとして、担任が説明できなかったらまずいっていう……」と補足した。私はなんとなく納得したが、それにしても「仮定」の多いその言い回しに、学校に蔓延する“トラブル回避至上主義”のような空気を感じずにはいなかった。

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 私は5クラスほどを担当しており、実際に誰が私の行いに苦言を呈してきたのかはわからない。私はとりあえず、該当するクラスの担任全員に、「○○の小論文を指導させていただいております、報告が遅くなり申し訳ございません」と頭を下げてまわった。その時、「責任を負うのはこっちなので~」と言ってきた担任がいたので、クレームの出所ははっきりしたわけであるが。ちなみにそのクラスの生徒がAOで合格した際、その担任からは何も挨拶はなかった。責任を負うのは担任だから、手柄も当然担任のものである。実に明快な話である。

「リスク管理」が生徒の自主性を殺す

 担任の管理意識の高さは親の安心感にもつながるがゆえに、学校経営においてウエイトの高い素養なのだろう。しかし担任に「誰から何を学ぶか」まで管理されながら育つことは、はたして生徒に好ましい影響を与えるだろうか。

 リスク管理(親への説明のしやすさ)の面では、指導する人間を限定することが望ましく、小論文の指導も担任自身が行うのがベストだろう。とはいえ現実的に、教員は文章の専門家ではないし、なかには「三角、丸、花丸」をつけるだけで指導を終える者もいる。そもそも「志望理由書」と「小論文」との区別ができていない教員も多く、おのずとコメントも主観的・感覚的なものとなる。論理展開への言及がある添削答案の方が珍しいくらいである。要するに、「気に入られるために書く文」という観点しかないのだ。