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「高学歴は使えない」は本当だった? 学校が率先して“マニュアル人間”を育てる異常な理由

高校教員が直面した教育現場のゆがんだ実態

2020/11/19

genre : ライフ, 教育, 社会

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 叱られた経験に乏しい人間は、客観的に自分自身を省みる契機を持てないまま、他人からのネガティブな感情に対する耐性を身につけることなく成長していく。嫌なことがあればすぐに他人や環境のせいにし、重荷を放り出してしまう人間へと育っていくのである。業務中に軽く注意されただけでも心を折られ、どんな仕事も長続きしない私は、まさにその典型なのだろう。

「真面目系クズ」という言葉が流行ったが、そのような「外面はいいが、本質的なところで自身の非に向き合えない」というメンタリティも、「教員に従順な(ように見える)生徒の過ちが、甘く処理されてしまう」という傾向によって育まれている節がある。

 教員による「ひいき」は、しばしば生徒の善悪の判断基準を歪ませ、反省できない人間を育てるのである。

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教員がもっとも恐れるのは「優等生とのトラブル」

 教員が優等生を叱らないのは、「優等生との円満な関係」が、つつがなく教員生活を送るための前提条件となるからである。

 自分に従順な生徒がよい成績を収めることは、自分の指導の正しさを証明する材料となる。心情的にも、生徒が自分の教えを忠実に身に着けていく様は、教員にしばしば見られる「他者に影響を与えたい」という動機を満足させることだろう。

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 反対に、優等生との間のトラブルは、教員のキャリアにとって大きな爆弾となる。周囲から指導の正当性を疑われることに加えて、教育意識の高い親に対して火種を与えてしまうことが問題である。私の親もいわゆる「教育ママ」であったが、意識の高い親であればそれだけ教育機関をめぐる事情にも通じている可能性が高い。

「教育委員会への報告」といった対応を現実的に検討する親も珍しくないだろう。教員側に実際の落ち度があるかはともかく、学校長やその他管理職に迷惑を及ぼすリスクは、充実したキャリアを歩むうえで絶対に避けなくてはならない。

 結果として優等生は、教員からまるで高価な陶器のように扱われる。教員のリスク回避傾向が、優等生へのひいきを生み、その人格形成に歪みを生じさせるわけである。