片倉高級参謀も、急変
稲田前副長は、この異動も東条、富永の人事だと思った。このふたりの気にいらないというだけで、要職にある者までを、簡単に異動させるのは、専横のきわみであった。
こうした人事の弊害は、すでに軍の統帥に悪影響をおよぼしてきている。これが大きな禍根になると思った。
ふたりは酒に酔い、東条と富永とを痛罵した。この時に予想したような大事が、この異動のあとに、まもなくおこった。
総軍から稲田副長がいなくなると、インパール作戦を抑制する者がなくなった。総軍の幕僚は、前副長の考えをよく知っているはずだった。それがいつのまにか、第15軍の計画を支持するように変った。また、大本営が稲田副長に約束した兵力をもらわなくても、作戦はできるというようになった。これは前副長が最も強くいましめていたことであった。
寺内総軍司令官も、早くやれといいだすようになった。もともと、景気のよい話の好きな人であった。このように空気が変ってくると、新任の綾部副長では押えきれなくなってしまった。
ビルマ方面軍のなかでも、大きな変化が起った。あれほど強烈に反対をつづけていた片倉高級参謀が、作戦の実施に賛成するようになった。方面軍司令部を恐怖させたほどの片倉高級参謀も、急変してしまった。
第15軍の構想のままに作戦実施を決意
昭和18年12月23日から、ビルマのメイミョウの第15軍司令部で参謀長会同が開かれた。そのあとで、インパール作戦の総仕上げのための兵棋演習が行われた。方面軍からは中参謀長と不破博作戦主任参謀が出席した。総軍からは綾部副長、山田作戦主任参謀、今岡兵站主任参謀が列席した。総軍としては、この演習を見て作戦決行をきめる予定であった。
牟田口軍司令官は、わが事なれりといった自信まんまんの態度で主宰者の席にいた。その結果は、牟田口軍司令官が予期した通りになった。
今度の兵棋演習は、第15軍の構想のままにおこなわれた。その内容は、それまでの牟田口計画と変っていなかった。
しかし、列席したビルマ方面軍の中参謀長も、南方軍の綾部総参謀副長も、反論もしないで承認してしまった。きのうの反対者は、きょうは賛同者となって推進につとめている。さらに、この演習の結果を見て、南方軍はインパール作戦の実施を決意した。
南方軍の寺内総軍司令官は、この計画を決裁して、大本営に正式の意見具申書を提出した。さらに、大本営の認可をうながすために、綾部副長を東京に送った。かつて大本営から計画の禁止を伝えに行った綾部副長が、半年後には、計画の実施をうながす使者となった。
綾部副長は大本営での説明の時に、この計画の実施に確算がある、と答えたという。稲田前副長と計画の阻止を約束したことも、全く反対な結果になった。