第二次世界大戦における旧日本軍のもっとも無謀な作戦であった「インパール作戦」。NHK連続テレビ小説「エール」では、名作曲家・古関裕而をモデルにした主人公・古山裕一がインパール作戦に従事する様子が描かれ、話題となった。
インパール作戦惨敗の主因は、軍司令官の構想の愚劣と用兵の拙劣にあった。かつて陸軍航空本部映画報道班員として従軍したノンフィクション作家・高木俊朗氏は、戦争の実相を追求し、現代に多くのくみ取るべき教訓を与える執念のインパールシリーズを著した。シリーズ第2弾『抗命 インパール2 (文春文庫)』より、牟田口廉也中将が周囲の反対を押し切り、インパール作戦を決行する様子を描いた「インド進攻」を一部紹介する。(全6回の6回目。#1、#2、#3、#4、#5を読む)
◆◆◆
東条大将は、稲田副長の処罰を命令
日本の政府と大本営は『大東亜政略指導大綱』を定めて、アジア諸国を結んで、連合軍にたいする防衛態勢を作りあげようとした。この方針に従って、タイ国にはこの国が前に失った領地を回復させることにした。その地域はマレー半島のペルリス州、ケダー 州、ケランタン州、トレンガヌ州であった。
東条首相兼陸相はこの年、昭和18年7月4日、タイ国のピブン首相を訪問して、失地回復の約束をした。そのあと、シンガポールの南方軍総司令部にきて、4州の国境線の確定を命じた。
総軍では国境確定委員を出して、タイとマレーの新国境線をきめた。すると、東条大将がおこって、責任者の処罰を要求してきた。東条大将がピブン首相と約束した線とは違うというのである。
この新国境線をきめたのは高橋総参謀副長であった。防衛上の必要から、応急臨時の国境を作り、戦闘終了後に確定することにした。ところが東条大将は、稲田副長の処罰を命じてきた。外交文書に調印したのが稲田副長であったからだ。
のちになってわかったことであるが、これは、稲田副長を追い出すための工作であった。富永次官が東条大将をそそのかしたのである。理由は、稲田副長が南方軍に行ってから、中央のいうことをきかないで、勝手なことをするというのであった。東条、富永の個人感情が強く左右した人事であった。
出張中の不意打ち人事
昭和18年10月1日、稲田副長は総軍司令部付となり、すぐに第19軍司令部付に転出した。後任は、大本営の第1(作戦)部長の綾部少将であった。
稲田前副長は事務引継ぎの時、綾部新副長にインパール作戦計画について、慎重に扱うように注意をした。とくに牟田口軍司令官の暴走を押えることを、言葉をつくしてたのんだ。
引継ぎを終って、酒席の雑談になった時に、新副長は意外なことをいった。それは、こんどの異動命令が出張中にきた、ということであった。南太平洋のニューブリテン島ラバウルを視察している間のことであった。出発前には予告もなかった。
綾部新副長は憤慨していた。出張中に不意打ちにするような異動は、乱暴であり非礼だというのだ。