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ノーベル物理学賞・小柴昌俊さん 94歳で逝去「ありとあらゆる家庭教師をしてきたわたし」

source : 文藝春秋 2012年10月号

genre : ニュース, 社会, サイエンス, 教育

 2002年、自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上はじめて自然発生したニュートリノの観測に成功したことにより、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊東京大学特別栄誉教授が、11月12日夜、老衰のため亡くなりました。享年94。

 学生時代には、学費と生活費を稼ぐために、あらゆるアルバイトに精を出し、東大大学院在学中には、当時横須賀市にあった名門・栄光学園(現・鎌倉市)で中学生に物理を教えたこともあるという小柴さんの若き日の素顔を紹介した手記を、追悼の意を込めて掲載します。(出典:「文藝春秋」2012年10月号)

小柴昌俊さん ©文藝春秋

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 わたしがアルバイトをするようになったのは、1945年4月、旧制第一高等学校に入学してからです。父は陸軍の職業軍人として中国におり、敗戦してからは捕虜になりました。一家は、生活の糧を失ったわけです。

 姉とわたしで、母と弟二人の生活費から学費まで、すべてを稼がねばなりません。せっかく一高に入れたのに、勉強どころではなかったのです。

 姉は洋裁の仕立て、わたしは家庭教師と肉体労働。一高の寮には、「家庭教師求ム」の張り紙や申し込みがうんとあったので、仕事には困りませんでしたね。小学生や中学生相手に、理科、英語、数学、なんでも教えました。日本全体が貧しかった時代ですから、家庭教師といってもアルバイト料は高くありません。嬉しかったのは、晩ごはんを出してくれたときです。ほとんど具のない“塩すいとん”であっても、いつもお腹を空かせていたわたしにとっては、アルバイト料と同じくらい魅力的でした。

2002年ノーベル賞授賞式での小柴昌俊さん ©AFLO

 敗戦の翌年に入水自殺した詩人の原口統三は一高の同窓で、一緒に横浜の波止場に米軍の荷揚げ人足のアルバイトにいったことがあります。後に大蔵省事務次官から日銀総裁になった松下康雄と出版社で働いたこともあります。一高の伝手にはほんとうに助けられました。