芸人の“成功”とはなんだろうか? ひと昔前までは、それは「テレビで売れる」ことと同義だった。

 ところが今ではYouTubeやTikTokなど様々なメディアが登場し、芸人の成功の仕方も多種多様になってきている。中心に“笑い”があることはもちろんだが、それだけではなく、違った分野で輝きを見せる芸人たちも出てきている。

 若手コンビ・パーパーのほしのディスコもそのひとり。

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ほしのディスコ ©️文藝春秋

 YouTubeでの「歌ってみた」動画でその歌唱力が多くのファンを惹きつけた。100万再生を超える歌も多く、普段の“キモキャラ”の芸人像とは少し違った魅力を展開している。そんな新世代芸人に聞く、令和のお笑い芸人の在り方とは?(全2回中の2回目/1回目から読む)

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――もともとほしのさんが芸人になったきっかけは何ですか?

ほしの 最初は小学生の時にお笑い番組を見るのがすごく好きだったんです。マセキの先輩のウンナンさんとかが出ていた「笑う犬の冒険」とかが大好きで、それを休み時間に友達と真似したりして。実はその時から音楽も同じくらい好きだったので、芸人か、音楽の道に進むか、どっちかを将来やりたいなというのがあったんです。

 でもやっぱり音楽はビジュアルも大事じゃないですか(笑)。そこに気づいて、「やっぱりカッコよくないとなあ」と。特にボーカルとなると、ちゃんとカッコよさがいると思って「芸人になろう」と決めて。そこからはお笑い1本ですね。

©️文藝春秋

――ご両親の反対とかはなかったですか。

ほしの 両親はずっと応援してくれていますね。「自分がやりたいことをやったほうがいい」と言ってくれて。実は高校時代にテレ東系の「田舎に泊まろう!」にたまたま出演する機会があって、そこでレギュラーの松本康太さんにお会いして、その時に初めて親に「芸人になりたい」と伝えられたんです。

もともとの憧れは「しゃべくり漫才」

――テレビ番組がきっかけで芸人への道に進めたんですね。憧れた芸人さんとかもいるんでしょうか?

ほしの 僕が高校生の頃って、M-1が最初のブームを起こした頃だったんです。それもあって漫才がすごく好きで。だから最初はとにかく漫才がやりたかった。チュートリアルさんとか、ブラックマヨネーズさんとか、フットボールアワーさんとか…そういう「しゃべくり漫才」みたいなのがやりたくて。

 いや、そうなんですよ…いまと全然違うことをやりたかったんです。いまは「笑わす」というよりは「笑われる」ネタをやっているんですけどね(笑)。それで最初は吉本に入りたくて、NSCに通い始めて。

昨年のM-1はミルクボーイが優勝

――いまの“コント職人”的なイメージと比べるとずいぶん違いますね。

ほしの そうなんです。最初は漫才に憧れたんですけど、やっていくうちに向き不向きというか…そもそも喋り方があってないなと(笑)。漫才のテンポについていけていないというのは徐々に感じていて。

 いまだったらスローなスタイルもありなのかもしれないですけど、当時はスピード感とテンポの良さがすごく求められている印象だったので、「漫才は無理かな」と思ってコントを途中からやり始めて。そこからはキングオブコントを狙ったり、本当にコントが好きになっていった感じですね。