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野口聡一さん10年ぶりにISSへ…クルードラゴン搭乗前に語っていた“宇宙へ行く意味”

「ふと目の前にある地球が一個の生命体として——」

2020/11/21

source : 文藝春秋 digital

genre : ニュース, 社会,

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船外活動(EVA)での衝撃

 野口さんが自身の経験した2度のミッションの中で最も大きな体験として語ったのは、今回も予定されている船外活動(EVA)についてだった。

 彼はスペースシャトル「ディスカバリー」で初めて宇宙に行った2005年、3回のEVAを経験している。船外に出た時間は合わせて約20時間。そこで見た「地球」の姿には、宇宙船の窓越しから見るそれとは全く異なる感情を呼び起こされる衝撃があったという。

「ある一瞬の感覚がとりわけ強く印象に残っています」と彼は振り返った。

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「ふと目の前にある地球が一個の生命体として――ある意味では自分と同じ生命体として――宇宙に存在しており、いまこうして僕らが話をしているように、そこに一対一のコミュニケーションが存在するかのような気持ちになったんです。僕は地球の周りを回っている。地球も太陽の周りを回っている。大きな物理法則に従いながら、ある一点で二人というか、その二つが共存しているという感覚があった。僕は2005年のあのときから、ずっとそのことの意味を考えてきました」

©文藝春秋

 1965年に神奈川県横浜市に生まれた野口さんは、スペースシャトルの打ち上げをテレビで見た10代の頃から、宇宙飛行士という仕事に憧れてきた。同時期に母親から立花隆著『宇宙からの帰還』を渡され、強く感銘を受けたとも語っている。

スペースシャトル「コロンビア」の事故

 高校卒業後、東京大学理科一類に進学した後、航空学科(現・航空宇宙工学科)で航空機のエンジンの研究を行い、大学院博士課程を修了して石川島播磨重工業(IHI)へ就職。NASDA(現JAXA)が公募した3度目の宇宙飛行士候補者選抜試験に応募し、572人の中から選ばれた唯一の宇宙飛行士となった。

 ただ、当時を振り返るとき、彼は「宇宙に行く」という体験について、現在とは違う捉え方をしていたと話す。

「定められたロケットに乗り、長い訓練で培った技量を発揮することが、宇宙飛行士に課せられた第一の役割です。だから、宇宙飛行士のミッションはあくまでも仕事であり、宇宙体験についての抽象的な質問には答える必要などない。そんな考えを僕も持っていました」

 だが、初めてのフライトが近づいたアメリカでの訓練中、その「宇宙飛行士という仕事」について、見つめ直さずにはいられなくなる出来事が起こる。それが2003年2月1日、スペースシャトル「コロンビア」が大気圏突入時に空中分解し、7名の宇宙飛行士が犠牲となった事故だった。