1989年、日本人が初めて宇宙に飛び立ってから30年。これまでで合計12人の日本人が宇宙飛行を経験し、地球をこの星の「外」から眺めてきた。歴代すべての日本人宇宙飛行士への取材を行い、彼らの体験を1冊にまとめた『宇宙から帰ってきた日本人』が発売中だ。今回は90分で地球を1周する国際宇宙ステーション(ISS)から見える風景について。
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約90分で地球を1周する国際宇宙ステーション
秒速8キロメートルで巡行する国際宇宙ステーション(ISS)は、地球を約90分で1周する。日本人宇宙飛行士・油井亀美也にとってISSから見た地球や星々は、地球にいたときの想像をはるかに超える美しさであった。
ISSの内部の「キューポラ」にはロボットアームの操作盤があるが、その窓はアームの操縦や宇宙機の接近・分離を目視するためだけではなく、地球や天体の観測にも使用される。そこから地球や宇宙空間を眺めていると、「この薄い窓を隔てた外側は、全くの死の世界なんだよな……」と、彼は思った。
地球の背後に広がる宇宙の闇はあまりに深く感じられ、そして、その死の世界に言葉にならないほど美しい地球が浮かんでいる。油井にとりわけそんな感情を呼び起こしたのは、地球を取り巻く大気の薄さだった。地表を覆う大気層は、地上10数キロまでの対流圏、約10から50キロメートルの成層圏、高さ80キロメートルまでの中間圏、その上にさらに熱圏と幾層にもなっており、ISSが飛行する地上400キロメートルはこの熱圏に当たる(国際的な定義として「宇宙」とは高度100キロメートル以上を指す)。
宇宙飛行士が大気をぼんやりとした青い層として見るのは、大気中に分散する分子のなかで波長の短い青色が見えるからである。油井が「なんて薄いんだろう」と感じたのも、そんな地表の縁の部分の薄っすらとした層があまりにか弱いものに見えたからだ。
「周囲は真っ暗な死の世界であるのに、地球は生物で満ち溢れている。それなのに、その生と死の世界を分ける大気の層はあまりに薄く、簡単に壊れてしまいそうに感じる。あの美しさがよりその実感を高めるんです」
「私たちの命を支える空気や水はこれだけしかないんだ」
油井は地上にいるとき、「空気も水もたくさんあるから、少しくらい汚してもたいしたことはない」と考えるタイプだったという。しかし、宇宙から地球を見ると、「私たちの命を支える空気や水はこれだけしかないんだ」と全く反対の感想を抱いた。
例えばチベットの氷河を写真に撮ろうとしたとき、あまりにも少ししか残っていないことが宇宙から見るとありありと分かった。地球の環境の壊れやすさを感じ、それを痛ましいと感じた。
「そう思ったからこそ、地球が想像していたのとは異なる美しさを放っているように、私には見えたのかもしれません。もちろんこれまで長い訓練を続けてきて、ついにたどり着いた場所であるという気持ちも関係していると思います。いずれにせよ、とにかくあれは見たことのある人にしか分からないものなのではないか、という気がします」
現在の宇宙飛行士はISSでの滞在中、頻繁にツイッターで近況を報告していく。自分の感じている地球の美しさをどうにか伝えられないかと思い、油井も様々な写真を撮ってアップロードした。撮影の際には地球の青さがより鮮やかに見える構図を考えたり、反対に背景の闇の黒さが際立つようにしたりと工夫したが、結局それらは「自分の見ていた光景とは違う何か」でしかなかった。
「写真をたくさん撮って送ろうと思ったのは、言葉ではなんて言ったらいいかが分からなかったからでした。映画の大きなスクリーンで見るのとも違う。あの壊れやすさを感じさせるがゆえの美しさは、やはり言葉にはできないものであり続けていますね」
油井は宇宙での体験について語るとき、「それを言葉で表現するのは難しい」と何度も言った。工夫を凝らして撮影した写真でも伝わらないと覚った彼が比喩としてよく話すのは、ISSから地球を眺めているときの感覚が、「ロシア正教の教会に入ったときの感覚」と似ていたというものだ。
約4年間にわたった宇宙飛行士としての訓練中、彼はモスクワの街中の教会を案内されて何度か見学する機会を得た。教会のなかに足を踏み入れたとき、彼は壁1枚隔てただけの空間に、街の喧騒とは異なる静寂な世界があることに胸をうたれた。イコンや讃美歌の調べ、礼儀作法に従って静かに祈りを捧げる人たち……。その雰囲気に何か侵し難いものを感じ、ふと「神様というのは本当にいるのかもしれないな」と思ったという。
「宇宙ステーションから地球を見たときも、自分でも意外だったのですが、同じような感覚を覚えたんです。これほどすごいものを作るには、奇跡があるに違いない。心地いいし、自分の心が綺麗になっていくような気持ちがして、ずっとここにいたいと理屈抜きに思ってしまうのも同じでした」