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2020/11/23

――そういう同期の存在が疎ましくもあったと。

九条「ただ、“僕らはおもろい”っていう自信はずっとありました。それに、早くから『M-1』チャンピオンであるとろサーモンの久保田さん、笑い飯さんから面白いと言っていただけていたので、周りに対しても少し大らかな気持ちが持てるようになってきたのかもしれないですね」

2度のコンビ解散&再結成を繰り返した“仲悪い芸人”

 一見すると“破天荒”に見える下田だが、話を聞いてみるとバランサーの役目を果たしているようだ。九条が独特な表現と鋭い言い方で切り込むたびに、下田がフォローする。見た目と違って、どうやら九条のほうが“ヤバい奴”であるようだ。

見た目ほどヤバくない下田  ©文藝春秋

 下田は過去の自分たちを振り返り、「ほかの芸歴8年目のどのコンビより、明らかに濃い年月を過ごしてきた」と自負するが、彼らは“仲悪い芸人”と紹介されるほど喧嘩が多いことで有名だ。2度のコンビ解散&再結成も繰り返している。

九条「解散するかしないかの話し合いは、実際に解散した2回以上してきました。近年でもおっきいケンカはありましたし……。よしもと漫才劇場の支配人が止めてくれなかったら、今頃、僕は服屋の店員になってたと思います」

下田「一昨年のことですね。初めて名古屋の番組に呼んでもらったとき、タクシーの運ちゃんに」

九条「運転手?」

 ©文藝春秋

下田「行き先を伝えたら、マネージャーから事前に聞いてた局名が間違っていて別のところへ行ってしまったんです。ほんなら、九条が『お前がちゃんと伝えてなかったんやろ。ここで降りるわ』ってキレ出して......。もう楽しくない! なんでわしがイライラせなあかんねん。一生こんなん嫌や。おもんなくてもいいから別の奴とお笑いやろうと思って、『お前はもういい。解散』って言いました。しょうもないケンカやと思われるでしょうけど、いろんなことのチリツモ(塵が積もって山になる)で、名古屋の件が最後のボディブローになりました」

九条「そんな下田を、支配人が6時間、説得してくれたんです」

 ©文藝春秋

下田「『お前らには未来が見えるから止める』と。『俺の顔を立てて、解散はやめてくれ』とまで言ってくれたので、『その未来に懸けたいと思います』と続けることにしました」