これが人生の成否を分ける、と多くの人が信じる教訓は、時代によって変化する。「分をわきまえることが重要だ」こう言われた時代があった。社会の流動性が低く、本人の能力よりも生まれ持ったリソースが力を持つ状況では、多くを望まないことが賢明だとされた。「一番大切なのは忍耐だ」こう言われた時代もあった。経済が右肩上がりだった頃、男性は会社に、女性は家庭にそれぞれ献身し、理不尽があっても耐えて立場にしがみつけば、少なくとも金銭的な対価は期待できた。
ならば大きな経済発展は望めず、子供を産み育てることへのハードルは依然として高く、住宅ローンの完済平均年齢が上昇傾向にあるこれからの日本では、いったいなにが人生の成否を分けていくのだろう。
『自転しながら公転する』に登場するのは、巨大な不安を抱えた人々だ。安定した暮らしを手に入れたいショップ店員も、学生時代の素行の悪さがのちの人生に影響している寿司職人も、更年期障害に苦しむ専業主婦も、定年後も続くローンの支払いに喘ぐサラリーマンも、日々のタスクをこなしながら先の見えない状況に閉塞している。人生の最善手が見えない。もっといい巡り合わせがあればよかったのに。とにかく我慢するしかない。そんな現状維持を繰り返した挙げ句、ぱんぱんに膨れた不安がある日突然、破裂する。
破裂の瞬間が、本当に小気味よい。クラッカーを鳴らすように隠された個人の内情がぶちまけられ、その周囲よりも本人の方が衝撃を受ける。自分が何に苦しんでいるのか、悩んで分かっていたつもりでも、破裂して、脳のしわの奥に隠された秘密まで引きずり出されないと分からないことってたくさんあるのだ。そうした痛烈な底打ち体験は閉塞に風穴を開け、次の一手のしるべとなる。一つの破裂に連動して、分厚い本のあちこちで破裂が起こる。過去の教訓に縛られていた人たちが春を迎えた生き物のように蠢き、それぞれの、けっして他者から脅かされない直感に従って人生の舵を強く握り直す。
近しい人との真剣な議論が、沼のような現状維持思考から抜け出す推進力となっていることも、本書の特徴の一つだ。自分は平気だ、と薄っぺらい見栄を張るのではなく、私たちは自分にも他人にも、もっと大きな声で不安を訴えるべきなのだろう。声に出すことで自分の思考の偏りが見えてくるし、他人の力も借りられる。時に、助け合うことにもつながる。結婚や仕事だけではない、新しい人間の連帯が模索される。
不安が募るのは、過去の教訓が機能しなくなったことの裏返しでもある。どんな選択をしても完全な正解はなく、代わりに間違いもないのだと、それぞれがオーダーメイドの人生を作り上げていく時代に入った私たちの、背中を強く叩いてくれる本だ。
やまもとふみお/1962年神奈川県生まれ。OL生活を経て作家デビュー。99年『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、2001年『プラナリア』で直木賞受賞。著書に『あなたには帰る家がある』『再婚生活』『なぎさ』など多数。
あやせまる/1986年千葉県生まれ。作家。著書に『くちなし』『森があふれる』『まだ温かい鍋を抱いておやすみ』など。