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新人賞総ナメ、紅白にも出場したジャニーズアイドル、忍者

 男性アイドルに目を向けると、こちらも過渡期だったと言えるだろう。この年、男性アイドルの“帝国”に成長していたジャニーズ事務所がデビューさせたのは「忍者」。「少年忍者」として活動していたジュニア時代から光GENJI、男闘呼組と並ぶ「少年御三家」として推されるなど、期待の高さがうかがえたが、デビュー後は思ったほどの人気を集めることはできなかった。

「この年の新人賞を総ナメにし、紅白歌合戦にも出場していますが、芸能界とお茶の間の感覚のズレが大きく、さすがに事務所のゴリ押しが悪目立ちしてしまった。後に問題化するジャニーズとマスメディアの関係は、この頃から存在していたということです」(渡邉氏)

 忍者はシングルで一度もオリコン1位を獲得することができないままグループは自然消滅。正式に解散が発表されたわけではないが97年を最後に活動はない。

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「背景に歌番組の低迷という芸能界全体の事情があったことは確かでしょう。ただ、当時のジャニーズ事務所も、時代への対応が遅れていたことも見逃せません。トップクラスの人気を誇っていた光GENJIにしても、90年には初めてオリコン1位を逃すなど陰りが見え始めていましたからね」(渡邉氏)

 翌91年にデビューし、後に天下を獲ることになるSMAPも、当初はバラエティ番組で下積みの苦労を味わうことになる。

後にEXILEのリーダーとなる“ZOO”のダンサー、五十嵐広行

 後に小室ファミリー入りして、TRFのボーカルとなるYU-KIが所属していたことでも知られるZOOも90年デビュー。ZOOと言えば、なんといってもダンサーとして参加していた五十嵐広行の存在は外せない。後のEXILEのリーダー・HIROである。

HIRO(五十嵐広行)©️getty

 ZOOは91年にCMソングとして起用された『Choo Choo TRAIN』をヒットさせるなど活躍したが、95年に解散。しかし、HIROのサクセスストーリーはここからが本番だった。

 99年にEXILEの前身となるJ Soul Brothersを結成し、02年には現在の事務所であるLDHを設立して代表取締役に就任。その後のLDHの快進撃は周知のとおりである。

 プライベートでは12年に上戸彩と結婚。翌年にはプロデュース業に専念するためパフォーマーとしての活動を引退しており、現在はLDHの会長を務めている。