昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

新大久保にネパール料理店、なぜ30軒も?「ネパール街」を生んだ男の思い

2020/12/11

 第4次韓流ブームも後押しし、大勢の若い女性で沸き返る韓流の街、新大久保。ところが新大久保には、もう1つの顔がある。それが“ネパール街”だ。

 横浜中華街のように軒を連ねているわけではないが、界隈にはネパール料理専門店が約30店もあり、それに伴い多くのネパール食材店、ネパール人向け送金店、ネパール語新聞の編集部などが集う。

 ちなみにここでいうネパール料理専門店とは、ナンやインドカレーやタンドール料理などインド料理をメインに出す店ではなく、モモ(ネパール式の蒸し餃子)やダルバート(ネパールのカレー定食)といったネパール料理をメインに出す店のことだ。

 ただ、ネパール街としての歴史は、それほど長くはない。新大久保に、最初のネパール料理専門店ができたのが、2010年のこと。それ以前には、専門店は皆無だったという。

 なぜ近年、新大久保はネパール街化したのか。実はその源流には、ある思いがあった。新大久保の最初の1店となったネパール料理店『モモ』のオーナーであるブサン・ギミレさんに、話を聞いた。

ギミレさんと、夫人のデビさん。ギミレさんの経営するエスニック食材店『バラヒ』の前で。

大学卒業後に開いた日用品店で、「モモ」を出してみたら

 母国ネパールで新聞記者をしていたギミレさんが来日したのは、2002年のこと。以降、上智大学と産能短期大学で日本語やジャーナリズムについて学び、2008年に上智大学大学院を卒業。そして新大久保で始めたのが、ネパールから輸入した食材や雑貨を扱う店だった。

「もともと卒業後はネパールに帰るつもりでしたが、当時はネパールの情勢が不安定だったため、日本に残って働くことにしたんです。その頃はまだネパール人向けの日用品店がなかったので、それなら自分で作ろうかと。

 新大久保は学生の頃からよくエスニック食材や母国に電話するためのテレフォンカードを買いに来ていて、他のネパール人にもよく知られる街だったので、商売をするにはいい場所だと考えました」

 そのネパール日用品店で作り始めたのが、ネパールの国民食ともいわれる蒸し餃子、モモだった。

手前右がネパール餃子・モモ。奥はマトンスクティ(スクティは干し肉をスパイシーに味付けした料理)、手前左が羊の脳みそ炒め。ネパール料理店は、格安のスパイス酒場としても重宝する。(筆者提供)

「ネパール人がいるインド料理店などでモモを出す所はありましたが、日本人向けにアレンジされていて、故郷の味とは全く違いました。そこでネパールの故郷の味を再現したモモを、来店した同胞たちに無償でふるまったところ、みんなが『ネパールの味だ! おいしい!』と喜んでくれて」

 開店から1年が経った頃、店は新大久保駅からほど近い、現在「イスラム横丁」と呼ばれる通りのビル2階に移転。ほどなくして同ビルの1階が空き、そちらに再移転。これが、今もギミレさんが経営するエスニック食材店「バラヒ フード&スパイスセンター」だ。

 さらにはすぐ後に同ビル2階の大きな部屋も空き、そこで2010年にネパール料理店も始める。これこそが、新大久保のネパール料理専門店群の嚆矢となる『モモ』だった。