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 もし、何もやましいことがなければ、委員を辞職する必要はない。

 仮に辞任するのであれば、その理由を明示できるはずだ。北岡氏、およびグローには質問状を送るなど再三にわたって連絡をとってきたが、12月6日時点で何の連絡もない。

“福祉のドン”の力の源泉はどこにあるのか?

 それにしても、北岡氏が「障害福祉業界の天皇」の異名をとるまでになったその力の源泉は何なのだろうか?

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 その背景を知るべく北岡氏とも面識があるという、元厚労省関係者をたずねると、自身のスマホに収められた北岡氏と撮った一枚の写真に目を落としながら、厳しい表情でこう淡々と語り出した。

『共生社会の実現を目指す障害者の芸術文化振興議員連盟』の会長・衛藤晟一議員 本人のHPより

「北岡氏は障害者芸術の分野に影響力を持つ『共生社会の実現を目指す障害者の芸術文化振興議員連盟』に名を連ねる有力な政治家の力を使って、厚労省の人事と予算に影響力を持つようになったのです。会長は衛藤晟一元内閣府特命大臣が務めています。

 宮仕えの官僚も、所詮、政治家の前では下僕です。政治家が動けばその意に沿わなければなりません。北岡氏の一報を聞いた時、まさか性暴力とは思いませんでしたが、よくよく考えると『さもありなん』という気持ちでした。彼の功績は厚労省内では知らぬ者はいませんが、同時に彼の権力への執念と異なる意見を持つ団体への排他性は有名でした。近年、障害者芸術の普及に努めてきた厚労省とすれば、北岡氏とその背後にいる政治家に振り回されてきた、というのが正直なところだったからです」

 衛藤氏の関係者に北岡氏について取材することができた。

 両者の関係が深くなったのは、2005年。衛藤氏が郵政民営化を掲げた小泉純一郎氏に反旗を翻し造反。直後の郵政解散選挙で自民党執行部から公認を取り消され、無所属で出馬するも落選した前後からだと説明する

「衛藤さんはその後、参議院に鞍替えして当選するのですが、その時、勝手連として衛藤氏の選挙活動を現場で支えたのが北岡さんでした。自ら衛藤さんの応援チラシを作り、部下を引き連れ手弁当で選挙の応援に駆けつけたのです。それから今日に至るまで、衛藤氏の選挙を3回、やはり勝手連として衛藤氏を支えています。北岡さんは男気があって、誰かのピンチには真っ先に手弁当で飛んできてくれる。義理人情に深い人です」

2019年の参院選での一幕。固い握手を交わす北岡氏(右)と衛藤議員
両者の親密ぶりは周知の事実だという

 衛藤氏が後述するアメニティーフォーラムに初めて登壇したのが2004年。郵政解散選挙の前年のことだ。誰かのピンチには真っ先に飛んでゆく、という北岡氏のエピソードは、ある元グロー職員も証言している。

「誰かのピンチに飛んでゆく、と言いますが、それは自分の名誉と出世のために利用できる有力者に限ります。こうした利用できる人物の前では、北岡氏は人懐っこく、酒を飲んで、泣いて、笑って、夢を語る情熱家の一面を演じます。多くの人がその人間臭さに絆されるのです。北岡氏はとにかく人垂らしの名人でした」

自身が代表を務める団体から厚労省へ出向

「人事とカネ」そして「障害者芸術」という利権――。

 ここでいう“人事”というのは、例えば社会福祉施策の向上を図るために、専門的および技術的な助言を行う専門官の任命などに代表される。過去の専門官には北岡氏の口利きで、北岡氏が率いるグローから専門官として厚労省に出向、現在は滋賀県庁障害福祉課に勤める人物も複数人いる。また、北岡氏と滋賀県のつながりは、北岡氏が県の外郭団体「滋賀県社会福祉事業団」にいた20年前から深く、人事交流という名目で県庁職員が北岡氏の関連団体に出向することもあった。

安倍晋三元首相がイベントに来ることも。右端のグレーのスーツは衛藤議員

 北岡氏は、自らに近い人物を同様の手段で厚労省に送り込み、自身の影響力を誇示するようになった。北岡氏は「オレは厚労省の人事を動かせる」と周囲に自慢げに話していたと複数の職員、元職員が証言している。それはまんざら嘘ではないのだろう。