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アンジャッシュ・渡部の会見は「錯覚」と「バイアス」の連続だった

臨床心理士が、仕草と言葉を分析する

2020/12/06

genre : エンタメ, 芸能

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 調子にのっていた、天狗になっていたという発言からも見えてくるものがある。落ち着いて考えれば、冷静になれば、多目的トイレでの不適切な行為が自身の身を滅ぼす危険なものであることはわかったはずだ。「なのになぜ?」と問うならば、そこに「感情移入ギャップ」が働いていたからかもしれない。行動に移そうとしている時や衝動に身を任せている時は、これがもし暴露されたら自分がどう思うのか、どんな行動を取るのか、渡部さんには想像することはできなかったはずだ。想像し先の事に感情移入できないと引き返すことは難しくなる。

世間からの反感を避けるべく、歯切れが悪い返答ばかりに

「家族としっかり向き合って何事にも誠実に、思いやりを持って、いろんなことをしていくということですね」

 信頼回復するためにやっていることという質問に彼は表情を歪めた。おそらく家の中で、夫婦で話し合いながら辛い時間を過ごしてきたのだろう。答え難い質問には「身勝手といいますか」「自己中心的な考えといいますか」「バカなことをといいますか」を繰り返し、世間を「世間様」と呼び、明言を避けた。

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 報道後、多目的トイレを使ったかという質問には「使う権利もないと思います」とうつむいたが、相方とのアンジャッシュの復帰については顔を上げて前を向き「やりたいと言っても相手のあること」「おこがましくて言えない」と返事した。おそらくそれが彼の本心なのだろうが、会見全体に渡り、世間からの反感、批判がこれ以上起こらないよう、なるべく社会的に望ましいと思われる言葉を使おうとしていた。歯切れが悪くわかりにくく、気持ちや感情がうまく伝わってこなかった。

©️時事通信社

意識しすぎるとかえって失敗するのも人間

 考え過ぎると、かえって何をどうすればいいのか、どう言えばいいかわからなくなる。意識しすぎるとかえって失敗するのも人間であり、心理学用語でいうところの「熟慮の悪魔」の罠である。どうせ言葉を選び、言い方を考えるなら、芸人技で「さすが渡部!」とレポーター達を味方にできれば、会見も違っただろう。熟慮するところを間違った感が強い。

 彼を心配する芸人やタレントの中には、多目的トイレや性癖への質問についての返答を残念がっていた人もいるほどだ。たとえ失言して失笑や冷笑を買うようなことがあっても、考えすぎずに思ったことを正直に言った方がまだよかったと思う。本当に。

アンジャッシュ・渡部の会見は「錯覚」と「バイアス」の連続だった

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