そして舞台は実在する南海。巨人でも阪神でもなく、パ・リーグの、しかも落ち目の南海ホークス。のんべえで荒んだ生活をしていた主人公の「あぶさん」こと景浦安武は、この球団に入り通天閣の見える下町に住んで、居酒屋「大虎」の常連になり、人情の機微にふれるうちに円熟した魅力的な人間になっていくのだ。
シーズン中、景浦安武は全国を転戦する。そしてオフになると、大阪の下町に帰ってくる。「旅に出て、家に帰り、再び旅に出る」この繰り返しは映画「男はつらいよ」シリーズと同じだ。
「寅さん」同様、季節ごと、年ごとに舞台が変わり、人間関係が変わる中で、さまざまなエピソードが紡ぎだされた。なかんずく1975年に掲載された「祝杯」は、日本漫画史に残る名作だろう。良質の日本映画を見た後のような清涼な読後感があった(単行本では第6巻所収)。
リアルすぎたからこそ超えなかった「一線」
1946年12月生まれの景浦安武は、1学年下の門田博光を「カド」と呼び、野村克也監督には「おい、あぶ」と呼ばれていた。まさに昭和の南海ホークスの一員だった。
1977年オフに野村克也監督が電撃解任されたとき、18歳の筆者はこの世の楽しみの半分が失われたように感じたが、次に思ったのは「あぶさんはどうするのだろう」ということだ。江夏豊や柏原純一とともに南海を退団するのか? どんなドラマにするのだろう?
しかし「あぶさん」では、この時の騒動についてはほとんど触れられず、いつの間にか監督は広瀬叔功になっていた。1988年の南海の身売り、福岡移転も、2004年のソフトバンクの球団買収もさらっと触れただけだ。
野球ファンから圧倒的に支持される「あぶさん」が、誌上で何らかの意見表明をすれば、実際の球団運営に影響を与えかねない。リアルすぎる野球漫画だからこそ一線は超えない。それが水島新司の見識だったのかもしれない。
ファンタジー化した水島野球漫画の転換点
「少年チャンピオン」に連載された「ドカベン」は、1981年に一度終わるが、1995年に「プロ野球編」として再開され、山田太郎以下の登場人物が、実際のプロ野球に参入する。山田太郎は西武、岩鬼正美はダイエー、殿馬一人はオリックス。水島野球漫画はこの時期からファンタジーの様相を呈してくる。