「現実と切り離せない」作品の長期連載
門田博光を「カド」と呼んだ景浦安武は、40歳も若いダルビッシュ有とも対戦し、2009年、62歳で引退する。現役生活37年、当初は一振り商売の代打稼業だったが、中軸打者になり代打での本塁打王、3年連続三冠王、恐らく通算出場試合は4000試合を超え、安打数も張本勲の3085安打を超えたのではないか。
当初は野球漫画のリアリズムの極みとしてスタートした「あぶさん」だが、長期連載とともに現実を超えた偉大過ぎる存在になっていく。ロングセラーになった漫画の宿命だろう。「サザエさん」のような漫画であれば磯野サザエを24歳のままで固定することができるが、現実と常に切り結ぶ「あぶさん」はそうはいかない。不死身になった景浦安武の引き際を水島新司は考え続けていたことだろう。
水島新司は何が「違った」のか
その後もたくさんの野球漫画が生まれたが、水島新司を上回る描き手は出てこなかったと思う。実際、マーケティングビジネスを展開するようになったNPB球団は、肖像権や著作権を厳しく管理するようになり、他の漫画は肖像権料を払わなければ架空の球団の架空の選手のドラマを描くしかなかったが、水島作品は特例として2年間徴収が免除されたまま実在する球団を描くことが許された。
一方で、今のスポーツ漫画は、綿密な現場取材をもとに描かれる。選手にもインタビューするし、パソコンで選手の動きを精緻にトレースすることもできる。しかし水島は、自分の身体に沁み込んだ野球の「力感」「スピード感」をそのまま漫画にした。身体メカニズムとして正確かどうかではなく、彼だけが持っている野球的な「感性」をペン先からほとばしらせていたのだ。
その違いを生み出す源泉の一つが、水島新司の「野球愛」の濃さだと思う。「野球離れ」が進行し、野球を知らない子供が増える中で、グラウンドの土の匂い、草いきれに憧憬を感じた野球少年は、絶滅危惧種になりつつある。現役の漫画家には失礼な言い方だが、水島漫画の後継者は当分出ないのではないかと思う。
そこに「あぶさん」がいた
昭和末期、南海ホークスファンは、大阪球場のすり鉢のように傾斜の強い一塁側の観客席に腰を下ろすと、まずは左翼外野席を見上げたものだ。そこには景浦安武が描かれた看板があって「あぶさん」とだけ記されていた。
それを見ると南海ファンは「あぶさん、今日もベンチにいるのや」と思ったのだ。こんな野球漫画は、二度と現れないだろうと思う。
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参考文献
米沢嘉博『戦後野球マンガ史ー手塚治虫のいない風景』〈平凡社新書〉