ドラマ全体で“恋愛が苦手な男性”を肯定する
もちろん1990年代にも、不器用だったり奥手だったりするピュアなラブストーリーはありました。武田鉄矢さんが恋愛に不器用で、失恋続きの非モテ中年を演じた『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系/1991年)や、木村拓哉さんが恋愛に奥手な冴えないピアニストを演じた『ロングバケーション』(フジテレビ系/1996年)などは、その代表例。
しかし、武田鉄矢さんが演じた役も木村拓哉さんが演じた役も、恋愛経験がなかったわけでもないし童貞でもない。それに比べると『逃げ恥』で星野源さんが演じた平匡は、そういった“恋愛が苦手な男性”キャラをとことん深化させていたと言えるでしょう。
しかも注目すべきは、“恋愛が苦手な男性”というキャラの系譜における最終形態とも言える平匡を、周囲の人物たちがバカにしたり見下したり蔑んだりする描写がないこと。みくりだけでなく、登場人物がみな平匡に親愛の念を抱き、好意的に接してくれていました。
そう、平匡の情けない描写はあっても、そういったパーソナリティを否定するような演出はなく、ドラマ全体で“恋愛が苦手な男性”を肯定してくれているのです。
「恋愛をして一人前」という空気感
1990年代のドラマでは“恋愛が苦手な男性”は、たいてい良くない存在として描かれていました。実際、当時の社会では恋愛下手から卒業することが“正しい成長の在り方”、“唯一無二の正解”のような雰囲気が漂っていた気がします。
また、ゆきずりの相手と肉体関係を持つといった行為が、“正しいこと”とは言わないまでも、“大人の在り方”として肯定されている面もあったと思うんです。ワンナイトラブはイケナイことだけど大人ってそういうものだよね……みたいな空気感。どこかカッコよさのニュアンスが内包された“イケナイこと”でした。
逆に「恋愛をして一人前」……明言はされていなくても、当時のドラマや社会にはそういう空気感があったのではないでしょうか。
ですが『逃げ恥』では、恋愛が苦手で未経験だった平匡を否定せず、肯定してくれていました。これこそ、筆者が“ピュアさの進化・深化”を象徴している作品だと分析した所以です。