昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/12/14

「たまプラーザ」に込められた意味

「この一帯は、山を切り開いて最初に線路を敷いて、その周りに街を作っていったところなんです。街のあるところに駅を作ったのではなくて、駅が先。

 気になる駅名ですが、スペイン語で多くの人が集まる場所という意味のある“プラーザ”、つまりこの地域の中心としてたくさんの人が集まるようにという願いを込めて名付けられました。そのあと、街が大きくなるに連れて学校ができたり病院ができたりして発展してきた。それがたまプラーザの街なんです」(柴沼駅長)

たまプラーザ駅周辺(1966年) 提供:東急株式会社
たまプラーザ駅周辺(1968年) 提供:東急株式会社

 たまプラーザという街の始まりは、東急が戦後推し進めた多摩田園都市計画にある。田園都市線が走っている一帯は野を越え山を越えの丘陵地で、そこに鉄道を通して一帯を住宅地として開発、新しい街を生み出した。“たまプラーザ”という1966年の開業当時にしては突飛だったであろう駅名は、丘陵地に生まれた新しい街の中心になるようにという期待の現れだったのである。

『金曜日の妻たちへ』で知名度アップ

 開業時には何もなかった駅前も少しずつ発展。1982年には東急百貨店が開業する。そしてこの時代、ひとつのドラマがたまプラーザの知名度アップに貢献することになる。

 1983年に放送されたTBS系列のテレビドラマ『金曜日の妻たちへ』。古谷一行演じる中原宏の不倫相手・村越英子(演じたのは小川知子)一家が暮らしている場所としてたまプラーザが選ばれて、駅周辺でロケが行われた。そうしてたまプラーザ周辺の清新で高級感のある町並みが全国的に知られるようになったのだ。不倫ドラマの舞台になって知名度アップとはなんとも微妙な気もするが、現実とはそういうものである。

 

「実は私、12年ほど田園都市線の運転士をしていたんです。だから街の変化もよくわかる。運転士時代はたまプラーザテラスはなかったんですよね。だから百貨店を利用されるお客さまと地元の人ばかり。それが今ではテラスができて、周辺からこの駅にもたくさんの人が来るようになりましたから」(柴沼駅長)