昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/12/14

家も、バスも、電車も、買い物も…すべてが“東急の街”

「この街に住んでいる方は、東急から家を買って東急のバスに乗って、東急の電車に乗って、普段の買い物も東急ストア。生活の色んな場面で、東急グループの様々なサービスを利用してくださっている方が多い。だから、そういう方々に満足していただけるサービスをこれからも続けていかなければいけない、という思いは強いですし、街の皆さんもたまプラーザ、ではなくてたまプラと略して呼んでいただいて、愛着を持っていただいているんだな、と」(柴沼駅長)

 
鷺沼駅の柴沼俊彦駅長(左)とたまプラーザ駅の駅員・梅崎悠生さん

 これには若手駅員の梅崎さんもうなずく。

「他の駅での勤務がほとんどないのでなんとも言えないですが、たまプラーザ駅で勤務していると、この街に愛着を持っているお客さまが多いと感じます。自分が子供の頃に住んでいた街に愛着を持っていたかと言うと……そういった記憶はあまりないので、たまプラーザ駅はちょっと特別かもしれませんね(笑)」(梅崎さん)

渋谷まで約20分…たまプラーザの街

 1960年代に開発が始まった多摩田園都市の中核・たまプラーザ。こうしたニュータウンは、住民の新陳代謝が進まずに高齢化一辺倒になってしまうリスクを背負っている。

 

 それはたまプラーザでも例外ではなく、東急では駅直結の定期借地権付分譲マンションを建設して駅から離れた場所に住んでいるお年寄りに販売し、空いた場所へ若い世代の流入を促す取り組みも進めているという。街の代謝を促し、人が集まるテラスもできた。たまプラーザ駅が駅名の通り“人が集まる場所”になったのにはそうした背景もあるのだ。

「駅としてはこれ以上大きくなることはないと思います。ですから、これからは地域の皆さまと一緒に街を作っていくお手伝い。駅としても、たまプラーザテラスさんとも協力しながらやっていきたいと思っています。例えば定期的にイベントをやって地元の子どもたちにも喜んでもらって、そのお子さんが大人になってまたたまプラーザに住みたいな、と思ってもらえるように、未来につなげていきたいと思っています」(柴沼駅長)

2010年たまプラーザ駅 提供:東急株式会社

 開業から半世紀以上がたって、ひらがなカタカナ混じりの駅名にも違和感を覚える人はいなくなった。丘陵地を切り開いて作った街は今なお成長を続ける。駅には巨大な商業施設ができて賑わいが途切れることはない。プラーザ(プラザ)というからには楽しいところなんだろう、というかつて筆者が抱いた勝手な妄想は間違いではなかったようだ。渋谷まで約20分、たまプラーザの街は、悪くない。

写真=鼠入昌史

その他の写真はこちらよりご覧ください。

この記事の写真(23枚)

+全表示

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー