母親の語る生い立ち
端本もやはり死刑判決を受けている。
廣瀬を育てた母親は、毎回、息子の公判を傍聴にやってきていた。
朝6時から9時まで、野菜カットのパート仕事をしながら、昼間は東京地裁に通った。そのため、勤めていた会社を辞めていた。
「その前は、メッキ会社に勤めていました。フルタイムで朝から夜8時まで。主人も現場が多く、割と遅い時間に帰ってきました」
被告人の情状証人として法廷に立った母親は言った。
死刑回避を求めて、やがては死刑判決を受けることになった被告人の母親が、その生い立ちを語ることも珍しかった。
廣瀬の女性弁護人の尋問に、母親はこんなことを語っていった。
──夕食は?
「だいたい一緒にとっていました」
──忙しくても帰る?
「会社は家のすぐ近くでした。月に一度、月末でしたが、夕食の支度をしに帰って、また会社に行き、朝の2時まで働くことがありました」
──子どもには寂しい思いをさせたことはない?
「それはないと思っています。夕食の時には必ず帰っていました」
続けて、被告人の性格、生い立ちを振り返る。
「明るい子で、温厚な性格だったと思います」
──母親として悩んだことは?
「一切ありません」
──特段の教育方針は?
「いえ、ありません」
──小学校3年から剣道に通っていますね。
「熱があって休むように親が言っても、剣道にも学校にも行く。なんでもやり遂げるだろうなと思いました」
──中学校の通知表を見ると、先生の評価も高い。級友にも寛容で、公正な判断をすると。
「勉強のできない子でも、できる子でも一緒に仲良くすると、言っていただきました」
──高校からは奨学金を受けていますね。御両親からそう言われたのですか?
「違います」
──では、自分から進んで?
「はい。家計を助けようと……そうだったと思います」