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地下鉄サリン事件、死刑囚の母の“告白”「息子のことではない、別の人間だと思ってました」

『私が見た21の死刑判決』より#16

2020/12/19

source : 文春新書

genre : エンタメ, 社会, 読書

note

母親の語る生い立ち

 端本もやはり死刑判決を受けている。

 廣瀬を育てた母親は、毎回、息子の公判を傍聴にやってきていた。

 朝6時から9時まで、野菜カットのパート仕事をしながら、昼間は東京地裁に通った。そのため、勤めていた会社を辞めていた。

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「その前は、メッキ会社に勤めていました。フルタイムで朝から夜8時まで。主人も現場が多く、割と遅い時間に帰ってきました」

 被告人の情状証人として法廷に立った母親は言った。

 死刑回避を求めて、やがては死刑判決を受けることになった被告人の母親が、その生い立ちを語ることも珍しかった。

©iStock.com

 廣瀬の女性弁護人の尋問に、母親はこんなことを語っていった。

 ──夕食は?

「だいたい一緒にとっていました」

 ──忙しくても帰る?

「会社は家のすぐ近くでした。月に一度、月末でしたが、夕食の支度をしに帰って、また会社に行き、朝の2時まで働くことがありました」

 ──子どもには寂しい思いをさせたことはない?

「それはないと思っています。夕食の時には必ず帰っていました」

 続けて、被告人の性格、生い立ちを振り返る。

「明るい子で、温厚な性格だったと思います」

 ──母親として悩んだことは?

「一切ありません」

 ──特段の教育方針は?

「いえ、ありません」

 ──小学校3年から剣道に通っていますね。

「熱があって休むように親が言っても、剣道にも学校にも行く。なんでもやり遂げるだろうなと思いました」

 ──中学校の通知表を見ると、先生の評価も高い。級友にも寛容で、公正な判断をすると。

「勉強のできない子でも、できる子でも一緒に仲良くすると、言っていただきました」

 ──高校からは奨学金を受けていますね。御両親からそう言われたのですか?

「違います」

 ──では、自分から進んで?

「はい。家計を助けようと……そうだったと思います」