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地下鉄サリン事件、死刑囚の母の“告白”「息子のことではない、別の人間だと思ってました」

『私が見た21の死刑判決』より#16

2020/12/19

source : 文春新書

genre : エンタメ, 社会, 読書

note

  1995年3月、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。事件から2日後の3月22日に、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、やがて教団の犯した事件に関与したとされる信者が次々と逮捕された。地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及んだ。この事件で同時に起訴され、主張や弁護人の足並みの揃った実行犯である廣瀬健一と豊田亨、それに送迎車の運転手役だった杉本繁郎の3人がいっしょに並んで、同じ法廷の裁判に臨んでいた。  

 その判決公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『私が見た21の死刑判決』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。前編を読む)

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「バカなことをなぜ信じるのか」

「いろいろな無常観があります。具体的には、友人にテレビやオーディオに関係する人、そういうことが好きな人がいて、そうしたものは新しい製品が発売されても、すぐにこの世からなくなっていく。好きで理工系に進もうと思ったのに、社会をみれば、せっかく開発した製品が発売されると、すぐに市場から消え、また新しいものの開発に取り組まなければならない。科学の産物もすぐに価値がなくなり、人のためによかれと思った開発も軍事技術に転用されてしまう。そうしたことに無常を感じました」

 彼は、大学院を出て大手の電気機器メーカーへの就職が決まっていた。それを入社前日の3月31日になって、教団に出家していた。大学院の指導教授からは、「空中浮揚は慣性の法則に反する。学問を積んだ者が、バカなことをなぜ信じるのか」と詰め寄られても、聞かなかった。

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「自分の中に、絶対的なものを求めたがる聖域があって、その裏返しだったのだと思います」

 時代はバブル経済の絶頂期を迎えていた。あの雰囲気の中に、どこか付いていけない不確かなものを感じた若者がいても、おかしくはなかった。こんな乱痴気騒ぎのような夜がいつまでも続くのか、果たしてこれが本当の幸せのかたちなのだろうか。そこに溶け込んでいけない自分の姿。羨みと戸惑いの入り交じった感覚。そんなものをぼくは感じていなかった、といったら嘘になる。

 他の法廷では、端本悟というオウム信者が裁かれていた。彼は、早稲田大学の法学部を中退して、オウム真理教に出家した。それから間もなくして、坂本弁護士一家殺害事件に加わり、松本サリン事件では教団が改造したサリンの噴霧トラックを現場まで運転して帰ってきている。ちょうど彼や、廣瀬が大学のキャンパスを往来していた頃、ぼくも同じ場所にいた。同じ景色を観て、同じ空気を吸っていたはずだった。そういえば、あの頃、ぼくの後輩も教団の勧誘を受けていたといった。入信までとはいかなかったが、大学の近くにまでベンツで乗り付けてきていた麻原に直接あって、声をかけられたこともあったという。

 いったい、あの時のぼくと彼らを隔てたものは、なんだったのだろう。