「週刊誌は今でも嫌いなんだよ。この仕事をしていたら好きにはならんでしょ(笑)。でも、今日は提灯記事なんて書かなくていいからさ。いい人扱いされるのって嘘くさいじゃん。そのままを書いてよ」

 ゆっくりとソファーに腰を下ろし、田原俊彦(59)は記者の目を見て開口一番そう語った。今年デビュー41年目の“永遠のアイドル”は、来年2月に還暦を迎える。

来年で還暦を迎える田原俊彦 Ⓒ文藝春秋

 田原は、15歳だった1976年にジャニーズ事務所に入り、1979年に甲府から上京すると、その年のドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)で大ブレイク。1980年には「哀愁でいと」で歌手デビューし、アイドル全盛期の1980年代の中でも、一際まばゆい輝きを放った。

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 しかし1991年に個人事務所を立ち上げると、1994年にはジャニーズ事務所から完全に独立。マスコミによるジャニーズへの忖度によってテレビ業界から距離を置くこととなった。

 独立直前に長女誕生を受けて開いた記者会見での「僕ぐらいビッグになっちゃうと」発言や、トップアイドルから一転して大バッシングを受けたことなどは、今でも芸能史に残る大事件となった。

 だが独立から26年たった今も、田原はファンのために歌い、踊り続けている。そんな芸能界の酸いも甘いも知りつくした田原の目に、退所が相次ぐ最近のジャニーズ事務所はどう映るのだろうか。「独立後に見えた世界」、そして「ジャニー喜多川との思い出」を語ってもらった。

脚をこの角度で上げることが、田原俊彦でい続けること ⒸJ-BRAVE

「辞めるの遅すぎるよね、みんな」

――近年、ジャニーズ事務所を退所して独立していくタレントが後を絶ちません。元SMAPの中居正広さん、関ジャニ∞の錦戸亮さん、NEWSの手越祐也さん、山下智久さん。それに少年隊の錦織一清さんと植草克秀さんは年内で事務所を去り、来春にはTOKIOの長瀬智也さんも退所します。

 田原さんは人気絶頂だった1994年、33歳の時に15年間在籍したジャニーズ事務所を出た独立の“先輩”でもあります。“後輩”たちについてどう思いますか?

田原 辞めるの遅すぎるよね、みんな。まあ身動きが取れなかったんだろうけど、それでも30歳を超えれば、1人で歩きたいなって思うのが普通だよ。僕の場合はソロだったから、自分の意思で決断できたというのもあるけど、今はほとんどの人がグループじゃないですか。でも大人が4人も5人もいたら、考え方や将来のビジョンは絶対に違ってくる。

Ⓒ文藝春秋

 最初の5年とか10年は一緒にできても、20年も30年もとなると、それぞれに「本当はこういうふうに生きていきたいな」という思いができてくるわけだから。それを1つにまとめて、というのもなかなか難しいよね。かといって、解散もできなかったりするし。

 ただ、ジャニーさんが亡くなられてからのここ一連の動きは派手なんでね。どうしちゃったのかなとは思うよ。1つの時代がまた終わり、また始まるんじゃないかな。